◎求道者にはなれないタイプ
出口王仁三郎は、神戸の空襲で焼け出された人に、「今度は体ひとつあったら一番のおかげ」と説いた(新月の光(下)/木庭次守 P319)。
「今度」は、これからである。
澁澤龍彦の随筆集を読んでいる。彼は、昭和20年には東京北区中里に住んでいて、空襲で焼け出された。
山手線に乗ると田端から駒込の途中でトンネルをくぐるのだが、その空襲の時は、外はことごとく紅蓮の炎で、やむなくその鉄道のトンネルの中に大勢で逃げ込んだ。列車が来たら困ると思ったが、こんな状態では来るはずもないと思い直してそこに朝までとどまった由。火勢が収まって、外に出たら見渡す限り真っ黒な焦土で、まだぶすぶすと燃えくすぶっていたという。澁澤龍彦は16歳。
この随筆集の中に、どんなものでも哲学的思弁の材料として捉えてしまう、ルサンチマンがない、と自分のことを評している部分があるのだが、それでは求道者にはなれない。
彼はとても頭のよい人なのだが、そういうルサンチマンのない人には何人か出会ったことがある。私からみれば、そういう人はとても頭が切れるのだが、自分が俗物たることにも抵抗がなく、悪に寛容な人と見えてしまう。
澁澤龍彦のいうルサンチマンとは、生きる情熱というべきものであって本来ネガティブなものではない。
彼はそういうつくりで生まれてきたのだ。
出口王仁三郎は、神戸の空襲で焼け出された人に、「今度は体ひとつあったら一番のおかげ」と説いた(新月の光(下)/木庭次守 P319)。
「今度」は、これからである。
澁澤龍彦の随筆集を読んでいる。彼は、昭和20年には東京北区中里に住んでいて、空襲で焼け出された。
山手線に乗ると田端から駒込の途中でトンネルをくぐるのだが、その空襲の時は、外はことごとく紅蓮の炎で、やむなくその鉄道のトンネルの中に大勢で逃げ込んだ。列車が来たら困ると思ったが、こんな状態では来るはずもないと思い直してそこに朝までとどまった由。火勢が収まって、外に出たら見渡す限り真っ黒な焦土で、まだぶすぶすと燃えくすぶっていたという。澁澤龍彦は16歳。
この随筆集の中に、どんなものでも哲学的思弁の材料として捉えてしまう、ルサンチマンがない、と自分のことを評している部分があるのだが、それでは求道者にはなれない。
彼はとても頭のよい人なのだが、そういうルサンチマンのない人には何人か出会ったことがある。私からみれば、そういう人はとても頭が切れるのだが、自分が俗物たることにも抵抗がなく、悪に寛容な人と見えてしまう。
澁澤龍彦のいうルサンチマンとは、生きる情熱というべきものであって本来ネガティブなものではない。
彼はそういうつくりで生まれてきたのだ。