◎パラケルスス 自然の光
パラケルススの自然の光では、悟れる人悟れない人を次のように語り分けている。
『神は君を、翼の有無にかかわらず、飛ぶことができるようにして下さる。神は君に空想させ、推測させ、評価
させて下さる。・・・・・そして君が信じるならば、君はすでに第三の天にまで飛翔できたでもあろう。
だが君は野の草よりも高く自分の体をもち上げることもしなかったし、何ごとにもそのような力を用いなかった。君は、君自身から成長すべきだった果実を踏みつけ、圧しつぶしてしまった。
だからこの果実は、君とともに、価値のないものとなってしまった。うまくいかなかったからだ。
なすべきかなさざるべきかは、われわれの自由意志にかかっている、ということができる。しかし実情はそうではない。
神がそれを与えられなかったら、われわれは何をすることもできない。
悪をなす人に神はこれを与え給う、さもなければ彼は何もできない。善をなす人に、神はこれを与え給う、さもなければ彼は何もできない。
人間は一本の髪の毛を黒くも白くもできないのに、どうしてその欲することをなしえようか。』
(自然の光/パラケルスス/人文書院P261から引用)
※第三の天:永遠の天国
神は、人に飛翔する力、悟りに至る力を等しく与えてこの世に送り出すのだが、その力を用いるも用いないのもその人個人の生き方による。
逆に第三の天まで飛翔しようと、人が目論んだとしてもそれが可能となるかどうかは、神が許されるかどうかにより、それは人間の自由な意志とは関わり合いのないものである。
このような二面性はある。
人は、等しく大悟を目指すためにこの世に生を受け、文明は多くの覚醒者を出すために繁栄を求める。
だが、そのように思わない人がほとんどではある。
パラケルススの自然の光では、悟れる人悟れない人を次のように語り分けている。
『神は君を、翼の有無にかかわらず、飛ぶことができるようにして下さる。神は君に空想させ、推測させ、評価
させて下さる。・・・・・そして君が信じるならば、君はすでに第三の天にまで飛翔できたでもあろう。
だが君は野の草よりも高く自分の体をもち上げることもしなかったし、何ごとにもそのような力を用いなかった。君は、君自身から成長すべきだった果実を踏みつけ、圧しつぶしてしまった。
だからこの果実は、君とともに、価値のないものとなってしまった。うまくいかなかったからだ。
なすべきかなさざるべきかは、われわれの自由意志にかかっている、ということができる。しかし実情はそうではない。
神がそれを与えられなかったら、われわれは何をすることもできない。
悪をなす人に神はこれを与え給う、さもなければ彼は何もできない。善をなす人に、神はこれを与え給う、さもなければ彼は何もできない。
人間は一本の髪の毛を黒くも白くもできないのに、どうしてその欲することをなしえようか。』
(自然の光/パラケルスス/人文書院P261から引用)
※第三の天:永遠の天国
神は、人に飛翔する力、悟りに至る力を等しく与えてこの世に送り出すのだが、その力を用いるも用いないのもその人個人の生き方による。
逆に第三の天まで飛翔しようと、人が目論んだとしてもそれが可能となるかどうかは、神が許されるかどうかにより、それは人間の自由な意志とは関わり合いのないものである。
このような二面性はある。
人は、等しく大悟を目指すためにこの世に生を受け、文明は多くの覚醒者を出すために繁栄を求める。
だが、そのように思わない人がほとんどではある。