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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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意味がないもの、意味があるものの違いを超える-4

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◎トマス福音書から

イエスも意味がないもの、意味があるものの違いを超えることを説く。
新約外典トマス福音書から。

『イエスは乳を与えられている小さな者たちを見た。彼は彼の弟子たちに言った、「乳を与えられているこの小さな者たちは、御国に入る人々のようなものだ」。

彼らは彼に言った、「私たちが小さければ、御国に入るのでしょうか」。

イエスが彼らに言った、「あなたがたが、二つのものを一つにし、内を外のように、外を内のように、上を下のようにするとき、

あなたがたが、男と女を一人にして、男を男でないように、女を女(でないよう)にするならば、

あなたがたが、一つの目の代わりに目をつくり、一つの手の代わりに一つの手をつくり、一つの足の代わりに一つの足をつくり、一つの像の代わりに一つの像をつくるときに、そのときにあなたがたは、〔御国に〕入るであろう」。』
(荒井献著作集 7 トマス福音書 荒井 献/著 岩波書店P121から引用)

これは謎かけのような文だが、「小さな者」は、死から復活した白髪の赤子

「二つのものを一つにし、内を外のように、外を内のように、上を下のようにする」ところこそ、イエスも意味がないもの、意味があるものの違いを超える部分。

「男と女を一人にして、男を男でないように、女を女(でないよう)にする」とは、男女の違いをも超えるということ。

「一つの目の代わりに目をつくり、一つの手の代わりに一つの手をつくり、一つの足の代わりに一つの足をつくり、一つの像の代わりに一つの像をつくる」とは、自我の死と再生を意識している。公案のような表現である。

ここで出てくる御国とは、天国のことではなくて、天国と地獄の結婚である第六身体、アートマンのイメージである。

こんな禅問答のようなものが弟子たちに効果的であったかどうかはわからないが、イエスの頃はこうした覚醒に向かう素直な議論も師弟間で為されていた。

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