◎高さと深さ
ダンテス・ダイジは、チャクラを2つに分類している。
天国志向型として、3チャクラ
アナハタ・チャクラ:愛
マニピュラ・チャクラ:歓喜
スワジスターナ・チャクラ:安心
天国と地獄の結婚志向型として、3チャクラ
アジナー・チャクラ:智慧
ヴィシュダ・チャクラ:自由
ムラダーラ・チャクラ:力
愛、歓喜、安心、智慧、力、自由と平板な言葉が並んでいるように見えるが、その語感と語られている文脈を考えると、次のような感じである。
只管打坐的な高さの悟りは、純真さ、純粋さ、素直さ、清らかさ、崇高さの極みだが、彼に失うべきものはなく、彼には、それを失わないと悟りに到達できないような人生経験はこの悟りには不要であり、それを味わう受動性さえあれば悟りが可能なところが特徴である。それが愛、歓喜、安心。
これに対してクンダリーニ・ヨーガ的な深さの悟りは、現実全体が不安定であるという現実認識の人間(例えば最愛の子供が惨殺されたり天災で亡くなった母親のような)にとって到来してくる。これは、彼(彼女)にとっては大きな失うものが発生し、そこで虚無と向き合うことによって、このような現実認識に至ってしまう。
こうなってしまうと、彼には天国的な癒しは通用しなくなる。何も確かなものがない、諸行無常なる空こそリアルである世界に生きているからである。こうした虚無・ニヒルを超えるのは、天国と地獄の結婚であるが、そこに欲望から発していない智慧、力、自由がある。
これには、単なる受動性のみでは行きつけず、虚無・ニヒルに至る人生経験に出会ってそれをも超えていこうとする能動性が必要。
サハスラーラは別格で、他の六チャクラは同一平面上に見がちだが、そではないようだ。
現代は、マニピュラ・チャクラの歓喜からアナハタ・チャクラの愛への移行期間。
時代の課題は、只管打坐型の身心脱落で十分とみているわけだ。
両チャクラとも成立条件は、純真さ、純粋さ、素直さ、清らかさ、崇高さなどであるが、それすらもうまく行っておらず、大混乱の状態にある。
大震災、原発事故、第二次朝鮮戦争は悪夢だが、それが現実化する場合は多くの人が虚無を見る。おろおろせずに、それですら、とあるチャンスに転じるには、日頃の冥想訓練が要る。
人は一足飛びにチャンピオンになることなどない。同様に、人は、何かショッキングな事件に遭ったからといって、ある日皆が突然大悟覚醒するわけではない。
ダンテス・ダイジは、チャクラを2つに分類している。
天国志向型として、3チャクラ
アナハタ・チャクラ:愛
マニピュラ・チャクラ:歓喜
スワジスターナ・チャクラ:安心
天国と地獄の結婚志向型として、3チャクラ
アジナー・チャクラ:智慧
ヴィシュダ・チャクラ:自由
ムラダーラ・チャクラ:力
愛、歓喜、安心、智慧、力、自由と平板な言葉が並んでいるように見えるが、その語感と語られている文脈を考えると、次のような感じである。
只管打坐的な高さの悟りは、純真さ、純粋さ、素直さ、清らかさ、崇高さの極みだが、彼に失うべきものはなく、彼には、それを失わないと悟りに到達できないような人生経験はこの悟りには不要であり、それを味わう受動性さえあれば悟りが可能なところが特徴である。それが愛、歓喜、安心。
これに対してクンダリーニ・ヨーガ的な深さの悟りは、現実全体が不安定であるという現実認識の人間(例えば最愛の子供が惨殺されたり天災で亡くなった母親のような)にとって到来してくる。これは、彼(彼女)にとっては大きな失うものが発生し、そこで虚無と向き合うことによって、このような現実認識に至ってしまう。
こうなってしまうと、彼には天国的な癒しは通用しなくなる。何も確かなものがない、諸行無常なる空こそリアルである世界に生きているからである。こうした虚無・ニヒルを超えるのは、天国と地獄の結婚であるが、そこに欲望から発していない智慧、力、自由がある。
これには、単なる受動性のみでは行きつけず、虚無・ニヒルに至る人生経験に出会ってそれをも超えていこうとする能動性が必要。
サハスラーラは別格で、他の六チャクラは同一平面上に見がちだが、そではないようだ。
現代は、マニピュラ・チャクラの歓喜からアナハタ・チャクラの愛への移行期間。
時代の課題は、只管打坐型の身心脱落で十分とみているわけだ。
両チャクラとも成立条件は、純真さ、純粋さ、素直さ、清らかさ、崇高さなどであるが、それすらもうまく行っておらず、大混乱の状態にある。
大震災、原発事故、第二次朝鮮戦争は悪夢だが、それが現実化する場合は多くの人が虚無を見る。おろおろせずに、それですら、とあるチャンスに転じるには、日頃の冥想訓練が要る。
人は一足飛びにチャンピオンになることなどない。同様に、人は、何かショッキングな事件に遭ったからといって、ある日皆が突然大悟覚醒するわけではない。