◎愛という宇宙の心
只管打坐型の高さの悟りの一展開である「愛」。合気道開祖植芝盛平は、自分が宇宙そのものとなり、時間を超越した速さの世界にあり、かつ敵がないとする。
なぜならば、愛という宇宙の心が自分の心となっているからであると。
以下、合気神髄から。
『合気道の極意は、己れの邪気をはらい、己れを宇宙の動きと調和させ、己れを宇宙そのものと一致させることにある。合気道の極意を会得した者は、宇宙がその腹中にあり、「我はすなわち宇宙」なのである。
そこには速いとか、遅いとかいう、時間の長さが存在しないのである。
この時間を超越した速さを、正勝、吾勝、勝速日(まさかつ、あがかつ、かつはやひ)という。正勝、吾勝、勝速日とは、宇宙の永遠の生命と同化することである。
では、いかにしたら、己れの邪気をはらい、心を清くして、宇宙森羅万象の活動と調和することができるであろうか。
それには、まず宇宙の心を、己れの心とすることだ。
宇宙の心とは何か?これは上下四方、古往今来、宇宙のすみずみにまで及ぶ偉大なる「愛」である。
愛は争わない。愛には敵はない。何ものかを敵とし、何ものかと争う心はすでに宇宙の心ではないのである。
宇宙の心と一致しない人間は、宇宙の動きと調和できない。宇宙の動きと調和できない人間の武は、破壊の武であって真の武ではない。』
(合気神髄 合気道開祖・植芝盛平語録 /植芝盛平〔述〕/八幡書店P34-35から引用)
北海道に北朝鮮の不審船が停留し、日本海沿岸に北朝鮮の船や人が続々と上陸するのは、もはや組織的であって、もう始まっているのかもしれない。身長160cm以下のやせた男たち。
平和憲法を偉大なマントラとして護持してきたこの70年は平和だったが、それもいつかは破れる。
植芝盛平の語るようにこの一つながりなる宇宙の心アートマンにあって、愛が遍満すれば、争いも戦争もないが、そういう境地にある人間が少なければ、そういう世界にはなりはしない。
愛なき人間ばかりなるこの日本がこういう事態を招き寄せているということはあるかもしれない。
只管打坐型の高さの悟りの一展開である「愛」。合気道開祖植芝盛平は、自分が宇宙そのものとなり、時間を超越した速さの世界にあり、かつ敵がないとする。
なぜならば、愛という宇宙の心が自分の心となっているからであると。
以下、合気神髄から。
『合気道の極意は、己れの邪気をはらい、己れを宇宙の動きと調和させ、己れを宇宙そのものと一致させることにある。合気道の極意を会得した者は、宇宙がその腹中にあり、「我はすなわち宇宙」なのである。
そこには速いとか、遅いとかいう、時間の長さが存在しないのである。
この時間を超越した速さを、正勝、吾勝、勝速日(まさかつ、あがかつ、かつはやひ)という。正勝、吾勝、勝速日とは、宇宙の永遠の生命と同化することである。
では、いかにしたら、己れの邪気をはらい、心を清くして、宇宙森羅万象の活動と調和することができるであろうか。
それには、まず宇宙の心を、己れの心とすることだ。
宇宙の心とは何か?これは上下四方、古往今来、宇宙のすみずみにまで及ぶ偉大なる「愛」である。
愛は争わない。愛には敵はない。何ものかを敵とし、何ものかと争う心はすでに宇宙の心ではないのである。
宇宙の心と一致しない人間は、宇宙の動きと調和できない。宇宙の動きと調和できない人間の武は、破壊の武であって真の武ではない。』
(合気神髄 合気道開祖・植芝盛平語録 /植芝盛平〔述〕/八幡書店P34-35から引用)
北海道に北朝鮮の不審船が停留し、日本海沿岸に北朝鮮の船や人が続々と上陸するのは、もはや組織的であって、もう始まっているのかもしれない。身長160cm以下のやせた男たち。
平和憲法を偉大なマントラとして護持してきたこの70年は平和だったが、それもいつかは破れる。
植芝盛平の語るようにこの一つながりなる宇宙の心アートマンにあって、愛が遍満すれば、争いも戦争もないが、そういう境地にある人間が少なければ、そういう世界にはなりはしない。
愛なき人間ばかりなるこの日本がこういう事態を招き寄せているということはあるかもしれない。