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人口急減前夜

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◎四川とモンゴル

中国で、三国志の時代の直後に人口が約十分の一に急減したのは知られているが、その原因は定かでない。そうした人口急減前夜に四川の中で集団移住した一民族があった。

さて後漢末に天師道という道教の一派が四川省にあった。かの劉備玄徳もその有力リーダーであった范長生に山を下りて教えを乞うべく招請したが応じなかったという。

262年三国の一つである蜀は滅亡。その後四川は政治的混乱に陥り、それに危機を感じた范長生は、292年、一千戸余りの家族を率いて四川省の道教聖地青城山に立て籠った。

この一千戸余りの家族は、250年頃諸葛孔明配下の将軍が四川の他の地域から移住させた僚族という少数民族だったらしい。(以上 参考:神仙幻想/土屋昌明/春秋社P162-163)

ある国家や地域の人口急減が起きるときにそれを事前に察知して何十年も前に民族移動させるというのは、天意である。

四川は、今や乾いた砂漠のようになった中原とは異なり、雨量も多く、天府と言われるほど豊かな地域であり、場所を青城山に限らなくとも生存のため選ばれそうな地域ではある。

後に唐代に安史の乱で、玄宗皇帝は、青城山に避難したというが、青城山は道教の聖山であるというだけでなく、軍事的にも要衝となり得る地の利がある場所なのだろう。

昔は、このように集団移住で戦乱を避けるというようなことができたが、地球文明の中心が一気に動くような時代には、そういう何十年もかかる事前対応はほとんど不可能なのだろうと思う。

出口王仁三郎が言うように、その時は2階にいる人が1階に降りる暇もないほど急速なのだろう。

チンギス・ハーンも地球文明の中心をずらさせるようなことをやったが、そういうある種のご神業をやる人物は、その死やその墓を秘すものであって、チンギス・ハーン(1162-1227)もその墓の所在は不明である。

源義経(1159-1189)とチンギス・ハーンの生年は近く、出口王仁三郎が言うように源義経が、北海道経由でモンゴルに入りチンギス・ハーンになったという説は、まんざら嘘とも言えないところがある。昔読んだ、その伝説を調べている本には、源義経が旧満州に上陸した証拠の廟みたいな写真が掲載されていたと記憶する。

大物の日本からのモンゴル入りということでは、出口王仁三郎の入蒙、源義経の入蒙は、型を出すということでは類似性は無視できない。

今や相撲界ではモンゴル人力士が強くなり過ぎた弊害はあるのだろうが、それも日蒙の長い流れの綾の一つ。

戦前から戦後にかけてモンゴル人の人材育成を真摯に続けてきた笹目秀和氏の役割も大本教とクロスオーバーしている点で注目される。




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