◎第六身体とアカシック・レコード
第六身体は、一つながりのものであり、アートマンである。ところが、一つの謎がある。
まずアカシック・レコードあるいは、アーカーシャ、これは、現在・過去・未来のすべてが詰まった情報集積体であり、メガ・データ・ベースでもある。さらにこれは、躍動する現実世界全体の集合体でもある。
現在・過去・未来、そして時間・空間・物質も一つながりであるがゆえに、未来が変えられるのと同時に、当然に過去も変えられる。
人は自分のする善行と悪行で、時々刻々世界の未来と過去を変えている。
これは、第六身体の変動する部分。
ところが第六身体アートマンには、時間のない世界、時間のない部分、永遠に変わらない部分がある。それが原型、プラトンの言うイデアの世界である。
世の中には何百万もの花があるが、すべてイデアの世界にある現象の「種」の世界に花イデアがあり、その花は、ひまわりとして咲き、チューリップとして咲き、薔薇として咲き、散る。
イデアの世界の花イデアは永遠不滅であり、一方現実世界のひまわりもチューリップも薔薇も、つぼみをつけ咲き、散り、変化し滅びる。
つまり、アカシック・レコードとは、カルマの集合体でもあるのだが、永遠不壊の部分と変化生滅する部分の二相を持つかのように見える。これが謎。
ところが、どうしても時間がある前提で世界を考えがちな我々に対して、ダンテス・ダイジは、『現在・過去・未来、そして時間・空間・物質はもとより一つながりのものである。それが人間の意識にとっては、時間・空間・物質が、現在・過去・未来のスクリーンに展開しているように見える』というように示唆しているように思う。(ダンテス・ダイジは“言葉”ではこのようには説明していないのではあるが。)
種が映写機であって、スクリーンの映像の方が幻影なるカルマとも言える。
要するに素人目には、アートマン、この一つながりのものは、永遠不壊な部分と変動するカルマの集積体の部分という二重構造に見える。ところが、実際はそうではなく、カルマの集積体にしてあらゆる現実というのは、人間の頭で作り出した幻影にすぎないものであって、そこを諸行無常とか、空とか色即是空という。よって現実・カルマの側をプラトンは洞窟に現れた影とする。
結局アートマン、第六身体、このひとつながりのものは、最初から永遠不壊であっただけで、二相性はなく、変りはしなかったということなのだろうと思う。
このアートマンの見方は、人類だけでなく、犬猫の動物にも無生物にも宇宙人にも通用する類の見方ではあるが、そこまで透徹するのがひっくり返った世界というものなのだろう。
さらにこれに関連して前世記憶の問題もある。
第六身体は、一つながりのものであり、アートマンである。ところが、一つの謎がある。
まずアカシック・レコードあるいは、アーカーシャ、これは、現在・過去・未来のすべてが詰まった情報集積体であり、メガ・データ・ベースでもある。さらにこれは、躍動する現実世界全体の集合体でもある。
現在・過去・未来、そして時間・空間・物質も一つながりであるがゆえに、未来が変えられるのと同時に、当然に過去も変えられる。
人は自分のする善行と悪行で、時々刻々世界の未来と過去を変えている。
これは、第六身体の変動する部分。
ところが第六身体アートマンには、時間のない世界、時間のない部分、永遠に変わらない部分がある。それが原型、プラトンの言うイデアの世界である。
世の中には何百万もの花があるが、すべてイデアの世界にある現象の「種」の世界に花イデアがあり、その花は、ひまわりとして咲き、チューリップとして咲き、薔薇として咲き、散る。
イデアの世界の花イデアは永遠不滅であり、一方現実世界のひまわりもチューリップも薔薇も、つぼみをつけ咲き、散り、変化し滅びる。
つまり、アカシック・レコードとは、カルマの集合体でもあるのだが、永遠不壊の部分と変化生滅する部分の二相を持つかのように見える。これが謎。
ところが、どうしても時間がある前提で世界を考えがちな我々に対して、ダンテス・ダイジは、『現在・過去・未来、そして時間・空間・物質はもとより一つながりのものである。それが人間の意識にとっては、時間・空間・物質が、現在・過去・未来のスクリーンに展開しているように見える』というように示唆しているように思う。(ダンテス・ダイジは“言葉”ではこのようには説明していないのではあるが。)
種が映写機であって、スクリーンの映像の方が幻影なるカルマとも言える。
要するに素人目には、アートマン、この一つながりのものは、永遠不壊な部分と変動するカルマの集積体の部分という二重構造に見える。ところが、実際はそうではなく、カルマの集積体にしてあらゆる現実というのは、人間の頭で作り出した幻影にすぎないものであって、そこを諸行無常とか、空とか色即是空という。よって現実・カルマの側をプラトンは洞窟に現れた影とする。
結局アートマン、第六身体、このひとつながりのものは、最初から永遠不壊であっただけで、二相性はなく、変りはしなかったということなのだろうと思う。
このアートマンの見方は、人類だけでなく、犬猫の動物にも無生物にも宇宙人にも通用する類の見方ではあるが、そこまで透徹するのがひっくり返った世界というものなのだろう。
さらにこれに関連して前世記憶の問題もある。