Quantcast
Channel: アヴァンギャルド精神世界
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3535

カトリック宣教師と戦国時代の禅僧

$
0
0
◎永遠不滅の霊魂説

ルイス・フロイスが、彼らの永遠不滅の霊魂説に対して、禅僧の反論を報告している。キリスト教では、人間には永遠不滅の霊魂があるが、動物にはないとする。

『『もし(私たち宣教師が)彼らに提示しようとする魂があるならば、そして人間の死に際して、何らかの動物の場合と同じように目撃され得ないのならどのようにして、肉体の外に分離し、生きたままでいるものの何らかの兆候を(私たち宣教師は)彼らに示すのか)』
(1565年3月6日書翰)』
(宗教で読む戦国時代/神田千里/講談社P43から引用)

宣教師の説が正しいのなら、その死者の魂を実地に見せてみよというのが禅僧の反論である。

仏教では、輪廻転生からの解脱がああり得るが、そうした苦からの解を与えないカトリックはまともな宗教なのかと禅僧は疑ったのである。

人間は、アストラル・トリップや死に際して、微細身が離脱する。しかしそれを証明するには、宣教師も禅僧も霊的感受性、霊が見えなければならない。

しかしそれが見えれば、霊魂の行く先も見え、仏説のとおり、動物も人に転生し、人も動物に転生する場合すらある。よって、カトリックの動物には霊魂がないという説は、いかにもとってつけたような説に見えたのだろう。

これは、現代の解釈だが、禅のアプローチとしては、ないものはない、あるものはあるという現実に直面することからスタートするので、いきなり神の実在や人間の霊魂不滅から入る教義には、このような「現実」から攻めるのが効果的だったのだろう。

この議論は、イエズス会で欧州向けに出版される「日本通信」からは、欧州信者には不適当とされたのか、削除されたそうだ。

どの宗教にもセールス・トーク的なものはあるが、言霊の幸はふ国日本で新宗教を起こすのは、他国よりむずかしい。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 3535

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>