◎道は虚に集まり、虚こそ心斎である
荘子の内篇人間世篇では、孔子が弟子の顔回の冥想のやり方について注文をつける。
顔回は、孔子に心斎とは何かと問うと、孔子は、アートマンたる『気とは、虚しくして物を待つものだ』(この『気』は一気の意味にて個別性の分化以前)とし、『道は虚に集まり、虚こそ心斎である』と答える。
さらに孔子は、『あの闋(むな)しきものを見れば、虚室に白を生ず。吉祥は止に止まる。』とする。
道はニルヴァーナであるので、虚はアートマンと読めば、『道は虚に集まる』というのは、無と有の関係性を示すと解く。
『虚室に白を生ず』とは、アートマンたる本来の自分に居れば、白で表象されるあらゆる肯定的なものが発生する。
『あの闋(むな)しきもの』とは、道=ニルヴァーナのことだろうと見当がつく。そこで不退転の善と至福を吉祥と評す。
荘子の内篇人間世篇では、孔子が弟子の顔回の冥想のやり方について注文をつける。
顔回は、孔子に心斎とは何かと問うと、孔子は、アートマンたる『気とは、虚しくして物を待つものだ』(この『気』は一気の意味にて個別性の分化以前)とし、『道は虚に集まり、虚こそ心斎である』と答える。
さらに孔子は、『あの闋(むな)しきものを見れば、虚室に白を生ず。吉祥は止に止まる。』とする。
道はニルヴァーナであるので、虚はアートマンと読めば、『道は虚に集まる』というのは、無と有の関係性を示すと解く。
『虚室に白を生ず』とは、アートマンたる本来の自分に居れば、白で表象されるあらゆる肯定的なものが発生する。
『あの闋(むな)しきもの』とは、道=ニルヴァーナのことだろうと見当がつく。そこで不退転の善と至福を吉祥と評す。