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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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人の行う政治

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◎神事(かみごと)

中年から老境に差し掛かると、世の中のことがよく見えてくる。

およそ大小を問わず、組織ではトップ側近が企画し、立案し、遂行するが、その結果が芳しくなければ、誰かが責任をとらされて、いなくなる。信賞必罰は、トップに近いほど激しく端的に行われる。

企画そのものも、その立ち位置に応じて複数の利害関係者全員の思惑が入交り、必ずしも最初の企画者が考えた筋書き通りになるとは限らない。大きな企画ほどそういう面はある。同床異夢な人たちの呉越同舟な姿が大きな企画では必ず現れる。

日本の政治は内閣総理大臣が仕切っており、対国内ではほぼオールマイティな動きを見せるものだが、役所のトップだけに、また動かしている組織も大きいだけに、同床異夢で呉越同舟という傾向はより顕著に現れるものだ。

ところが日本は、第二次世界大戦の戦敗国であり、国連憲章の敵国条項適用国であるがゆえに、外交上の制約は大きく、アメリカの意向は、日本国民の箸の上げ下ろしにまで影響を及ぼしている。

日本は、外交だけでなく内政ですらアメリカを始めとする諸外国の思惑を踏まえて動かざるを得ないのだろうと思うシーンが多々ある。

利害関係者の相異なる要求や、諸外国の様々な意向を踏まえつつ、日本国の政治は、その根っこのひ弱さをマスコミの傘で隠しながら、ひょろひょろと動いている。

こういうのを人治、人による政治という。

出口王仁三郎は、一億火の玉として国民を煽りながら神助を頼まぬ東條英機を批判したが、彼だけが悪いわけではない。

組織の機能のメカニズムが本質的に事大主義、弱肉強食であれば、いわば誰がトップをやってもそうした結果になったのだろうと思う。そのメカニズムは、戦後70年の今も、日本の津々浦々、大都会から僻地の山村まで同じ姿で機能している。

神を恃むとは、神を知ってこそ初めて頼めるのであって、神知らぬ人では「神を頼む」など空念仏となる。

組織の構成員の大半が神を知ってこそ組織は初めて神を意識した天国的なパフォーマンスとなる。

組織の論理自体が変わるのはそうしたステージになってからだと思う。そこで政治も神事(かみごと)となる。

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