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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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孤独と抑うつ

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◎人生を捨てない

現代は、価値観の多様化と並行して中途半端な個人主義ライフ・スタイルが広まったせいで、もともと自分の考えに自信がない人にとっては、どのような信念が幻想で、どのような信念が健全であるかを判断することがとても困難な社会環境になっている。

漠然と言うならば、抑うつの人とは、そうした判断に自信がなく、自分の信仰をなくした人である。抑うつの人は、生き生きとした感情がなく、反応力がない。

日本のうつ病生涯罹患率は8人に一人で、抑うつの人の自己欺瞞としても位置付けられるギャンブル依存5百万人、アルコール依存230万人、ネット依存420万人、ゲーム依存〇百万人。

自動車とテレビ、スマホにより、世界は個人の私生活に土足で踏み込んで来るし、かつて安住の住処であった家庭は、生涯独身者が4割になろうとし、また離婚率も長く3割を超え、家庭はもはや安定した精神のシェルターとは言えなくなって久しい。

こうした精神環境の中にあって、抑うつ病がごく普通に見られるのは、至極当然な趨勢である。

これら底流にあるのは、『孤独』の二文字。

だが、人から神へのアプローチには、神おろし、弥陀の本願に抱きとってもらう、この身このままで成仏する、神人合一する、観想を繰り返すなど、無数のやり方があるが、大悟覚醒した後にも、孤独は消えることはない。ただそれが全く問題ないことを知る。人間とは何かを知る。

今、神とは何か、ニルヴァーナとは何かと問うても、ちゃんと答えられるような人はとても少ない。神は、日本では一種奇妙なオカルト・ネタの一種として扱われるようになり、こうして神が死に体である社会が現実化してしまっている。

神なき社会で、自分の考えている価値観の絶対性を揺るがされれば、人は簡単に抑うつになるものだ。

人の生業は、精神を使うか肉体を使うかのどちらかになるが、神へのアプローチも身口意に限定される。

肉体の柔軟性は冥想の深まりのキーになるし、ハタ・ヨーガはそのためのもの。気功では、肉体の他エーテル体にも干渉する。日蓮系、親鸞系などマントラを用いる宗派では口を用いてトランスに入り、そこからダイブすることを狙う。

人間は、一人ではわからないことが多く、他人あるいは師匠から適時に妥当なアドバイスをもらう準備ができていれば、そうした助言が出てくるもの。

だからこそ、このむずかしい時代に、人生を捨てないというのは、とても大切なモチベーションであると思う。

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