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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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外国は三分、日本は二分

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◎人生を投げないで、怠惰に陥らず、素直であって、情熱的

外国は三分、日本は二分』は、出口王仁三郎の言であって、木庭次守の『新月の光』に出ている。

覚醒は、一口にあらゆる実感を経た者に資格があるとするが、そういう人が1%でもいるとはとても思えない。

人間は、一般に冥想に向かう時期が、2回あって思春期と老年期である。いわゆる霊能の発現メカニズムでは、肉体とアストラル体がフィットしなくなる時期に霊能が発現しやすいのであるが、この2回の時期こそが、そのフィットしない時期にあたる。

思春期は、肉体が急速に大きくなることで霊体とのバランスを失い。老年期では、肉体が急速に衰えしぼむことで霊体とのバランスを失う。

こうした時期が、肉体、物質、時間、空間という固定観念を打破しやすい時期なのだろうと思う。

人はパンのみに生きるものではないが、自分にふさわしい仕事を見つけてそれで一生稼げるなどという恵まれた人はそう多くはない。非正規労働者4割の時代に、最近の学校や就職斡旋業界では自分にふさわしい仕事が自己実現だと教えているそうだが、不本意にもふさわしくない仕事に就く半数以上の人は、若くしてそうした価値観を植え付けられたがゆえに、悔恨を抱えながら生きるのではないか。

人間は肉体がすべてではないように、職業もすべてではない。

何時でも如何なる境遇の人にも、揺らぐことのない至福、慈愛、そういったものが真実であることを実感させてくれるメソッド、生き方がある。

それが冥想というもの。それぞれの宗派はそれぞれの冥想メソッドを持つが、深まれば自分の状態にマッチした坐法に自然に変わっていく。冥想は、柔軟体操と呼吸法で始まり、坐に移る。

『外国は三分、日本は二分』というのは確率を語っているのかもしれないが、確率論では一個のコインを投げて次に表が出るか裏がでるかは、五分と五分。五分と五分の無限の繰り返しの先に『外国は三分、日本は二分』がある。

人は日々どう過ごすかには、フィフティフィフティのフリーハンドがあるが、その結果は千差万別であり、『外国は三分、日本は二分』。ババジが、人は怠惰であってはいけないと言っているのはこの辺のことを言っているのだろう。

今日は東日本大震災から七年目。1970年代にダンテス・ダイジは、日本の地震災害の発生場所は、不確定であるとして特定しなかったが、1995年阪神・淡路大震災、2011年東日本大震災、2016年の熊本地震と連続して発生しているほどに、あちこちで起きたということだろう。

人生を投げないで、怠惰に陥らず、素直であって、情熱的であるとは、冥想修行者の特徴。
結果は知らない、自分がどうなろうと知らない。だが、悟らなくたっていいじゃないかなどとは思わない。

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