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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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ヨハネとイエスの上下

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◎イエスよりヨハネが上

この世界の立替立直しには、二つの相がある。立替フェーズと立直フェーズである。

ノアが立替フェーズであって、文明破壊。ナオが立直フェーズであって文明復興。

聖書ヨハネ伝には、ヨハネは、私の後に来る者がいるが、私は彼の靴の紐を解くにも値しない者であると自分を評価しているシーンがある。この場面では、イエスが上で、ヨハネが下。

ところが、立替立直しのシーンを挟むとこの様相は変わる。

出口王仁三郎の言。
『要するにヨハネは神界、幽界の修理固成の神業には、月の精なる水をもってせられ、キリストは世界の改造にあたり、火すなわち霊をもって神業に参加したまうのである。故にキリストはかえってヨハネの下駄を直すにも足らぬものである。』
(新月の光/木庭次守/上巻/八幡書店P113から引用)

出口王仁三郎は、イエスよりヨハネが上と断言し、信者の度肝を抜いたが、その理由をと食い下がる信者に対し、二首の歌を示し、立替立直しとは価値観もすべてが逆転するのだから、イエスもヨハネも評価が逆転すると説明してみせた。

耳で見て目できき鼻でものくうて 口で嗅がねば神は判らず

耳も目も口鼻もきき手足きき 頭も腹もきくぞ八ツ耳

以下の霊界物語本文を読めばその真意が明らかになるが、イエスは、人間の心と物質文明を火によって焼尽することで一新し、他方ヨハネは、神界、幽界を月の精なる水を以て刷新なさる。つまり、ヨハネが上部でイエスが下部。

表面に目立つのは人間の側であるため、イエスのみ高評価を得がちであるが、神界、幽界の立替立直しが先行し、その後に人間界の立替立直しが行われるのだから、スピリチュアリストの目には、神界、幽界の対応こそが困難と見える。

よって、世人の評価とは裏腹にそうしたご神業を担った空海、役行者、パドマサンバヴァ、ヨハネなどの真の評価は高いものである。

以下霊界物語第一巻24章神世開基と神息統合から引用。
『ヨハネの御魂は仁愛神政の根本神であり、また地上創設の太元神であるから、キリストの御魂に勝ること天地の間隔がある。ヨハネがヨルダン河の上流の野に叫びし神声は、ヨハネの現人としての謙遜辞であつて、決して真の聖意ではない。国常立尊が自己を卑うし、他を尊ぶの謙譲的聖旨に出でられたまでである。

 ヨハネは水をもつて洗礼を施し、キリストは火をもつて洗礼を施すとの神旨は、月の神の霊威を発揮して三界を救ふの意である。キリストは火をもつて洗礼を施すとあるは、物質文明の極点に達したる邪悪世界を焼尽し、改造するの天職である。

 要するにヨハネは神界、幽界の修理固成の神業には、月の精なる水を以てせられ、キリストは世界の改造にあたり、火すなはち霊をもつて神業に参加したまふのである。故にキリストは、かへつてヨハネの下駄を直すにも足らぬものである。

ヨハネは神界、幽界の改造のために聖苦を嘗められ、キリストは世界の人心改造のために身を犠牲に供し、万人に代つて千座の置戸を負ひて、聖苦を嘗めたまふ因縁が具はつてをられるのである。これは神界において自分が目撃したところの物語である。

そしてヨハネの厳の御魂は、三界を修理固成された暁において五六七大神と顕現され、キリストは、五六七神政の神業に奉仕さるるものである。故にキリストは世界の精神上の表面にたちて活動し、裏面においてヨハネはキリストの聖体を保護しつつ神世を招来したまふのである。

 耳で見て目できき鼻でものくうて 口で嗅がねば神は判らず
 耳も目も口鼻もきき手足きき 頭も腹もきくぞ八ツ耳』

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