◎他人は納得するが自分は本心では納得していない
もの・物質の研究・開発・生産が拡大していくとどうしても、人は神から遠ざかる。
人はものを集めだすと凝りがちなものであり、金と暇の許す限りものを集めるものでもあり、テレビ番組「開運!何でも鑑定団」などでそういう人がいくらでもいることをチェックできる。
金持ちが天国に入るのは、駱駝(らくだ)が針の穴を通るよりむづかしいなどと聞かされていても一旦集めだすとなかなか止まらないものである。
ものへの欲望は、いつかブランドという物の外皮をかぶった精神的価値を求めることに既に変わっている。
これだけブランド産業が巨大化し、偽ブランド産業も無視できない規模になっていることを見れば、現代人は、衣食住を充足するシンプルな物そのものを求めているのではなく、精神的価値を最優先にしていることがわかる。
その求めている精神的価値とは何か。本来は、その価値について自分も納得し、他人も納得することが、その価値の条件のはず。ところがブランド商品は、他人がその価値あることを認めることが主眼になっており、自分が納得することが二の次になっているのではなかろうか。
おおよそブランド品の値段の三分の一以上は、ブランド料であり、キャラクター商品だとその値段の三分の一程度はキャラクターの権利料であって、同一価格のシンプルな商品とキャラクター商品の品質では、シンプルな商品の品質が優ることは知られている。品質とブランドは本来の用途からすれば既に逆転している。
だけど社会的にまともに見られるためには、ブランドは必要だと思っている人が大多数でもある。
この発想の延長線上に高いブランド品は安いブランド品より価値が高いという妙な現象がある。精神的価値は、本来金の多寡とは連動しない。崇高な精神的価値であるかもしれない高級ブランド。それが高い金を出せば買えるという仕組みそのものが、この時代の倒錯を示している。ここに万人の自己欺瞞が隠れている。
愛はプライスレス、思いやりはプライスレスというのは、ただでサービスを受けたりただでサービス品をもらうことではない。
先に無私があり、そこでもって見返りなど求めない行為こそプライスレス。それは、人の間にあっては、砂漠に咲く花のようにまれなことではある。だが野の花は、誰の称賛を求めることなく凛と咲く。そういうものが、本来求めるべき精神的価値なのではないか。
(花は愛惜に散り、草は棄嫌におふるのみなり。(正法眼蔵 第一巻 現成公案/道元))
本当に自分が納得できるものを求めるというのが、最先端の「今風」である。
もの・物質の研究・開発・生産が拡大していくとどうしても、人は神から遠ざかる。
人はものを集めだすと凝りがちなものであり、金と暇の許す限りものを集めるものでもあり、テレビ番組「開運!何でも鑑定団」などでそういう人がいくらでもいることをチェックできる。
金持ちが天国に入るのは、駱駝(らくだ)が針の穴を通るよりむづかしいなどと聞かされていても一旦集めだすとなかなか止まらないものである。
ものへの欲望は、いつかブランドという物の外皮をかぶった精神的価値を求めることに既に変わっている。
これだけブランド産業が巨大化し、偽ブランド産業も無視できない規模になっていることを見れば、現代人は、衣食住を充足するシンプルな物そのものを求めているのではなく、精神的価値を最優先にしていることがわかる。
その求めている精神的価値とは何か。本来は、その価値について自分も納得し、他人も納得することが、その価値の条件のはず。ところがブランド商品は、他人がその価値あることを認めることが主眼になっており、自分が納得することが二の次になっているのではなかろうか。
おおよそブランド品の値段の三分の一以上は、ブランド料であり、キャラクター商品だとその値段の三分の一程度はキャラクターの権利料であって、同一価格のシンプルな商品とキャラクター商品の品質では、シンプルな商品の品質が優ることは知られている。品質とブランドは本来の用途からすれば既に逆転している。
だけど社会的にまともに見られるためには、ブランドは必要だと思っている人が大多数でもある。
この発想の延長線上に高いブランド品は安いブランド品より価値が高いという妙な現象がある。精神的価値は、本来金の多寡とは連動しない。崇高な精神的価値であるかもしれない高級ブランド。それが高い金を出せば買えるという仕組みそのものが、この時代の倒錯を示している。ここに万人の自己欺瞞が隠れている。
愛はプライスレス、思いやりはプライスレスというのは、ただでサービスを受けたりただでサービス品をもらうことではない。
先に無私があり、そこでもって見返りなど求めない行為こそプライスレス。それは、人の間にあっては、砂漠に咲く花のようにまれなことではある。だが野の花は、誰の称賛を求めることなく凛と咲く。そういうものが、本来求めるべき精神的価値なのではないか。
(花は愛惜に散り、草は棄嫌におふるのみなり。(正法眼蔵 第一巻 現成公案/道元))
本当に自分が納得できるものを求めるというのが、最先端の「今風」である。