◎自己愛から天国と地獄の結婚へ
シャーマニズムというと未開の部族の宗教であって、ツングース、シベリア、アラスカの寒冷な地域から、ジャングルや南洋の小島の小部族まで、人類の最初の宗教は、シャーマニズムとしてスタートしたのではないかというのが、一般的な考え方である。
シャーマニズムでは、先祖霊の崇拝が基調となっており、霊の存在が自明の精神世界に生きている。
これがやがて多神教に発展していく。多神教は、人間が生産力やエネルギーを思いのままに使えない文明レベルにおいて、自己の生存条件の大半を自然に依存するような時代の精神を反映したものであって、自己の生存は自然力への感謝と、その背後にある多神への崇拝へと向かっていた。
これが、次第に生産力やエネルギーを利用することに長けてきて、人がモノを支配することが当たり前の時代、つまり産業革命以降になると、人間の気分は一新され、多神教的な自然崇拝はうち捨てられ、自己愛中心の自分は神にも比肩するというイカロス的な人間が増えてくる。
こうした時代の人間にとって、富、財産、名誉、権力など天国的な条件の充足が、自分の無際限な欲望があるかぎり、自分の真の幸福たりえないことに気づき、人間であることの不条理を感じるということが起きてくる。
シャーマニズム時代は、自己愛人間が基調であり、それに対応する神は天国的幸福にある神であった。
ところが日常的にお手軽に、ほとんど天国的幸福に近い生存環境を得られる現代に至って、天国的幸福すら人を真に満足させるものではないということが知られるようになってくる。
ここに仏教やキリスト教などの一神教が成立してくる。一神教とは天国も地獄も心霊も超えたところにある。
世界の宗教は、こうした自然な宗教進化モデルどおりでなく、全然人間の生産力が乏しい2千年前の中東からキリスト教が発展し、同様に現代人のような豊かな生活ができたのは王族だけだった時代の2500年前の北インドに仏教が起こった。こうなったのは、一神教的精神の土壌のないまま、文明発展、生産力増強が行われれば、早晩人類は滅亡するというのを予見していた天の配剤だったように思う。
シャーマニズムというと未開の部族の宗教であって、ツングース、シベリア、アラスカの寒冷な地域から、ジャングルや南洋の小島の小部族まで、人類の最初の宗教は、シャーマニズムとしてスタートしたのではないかというのが、一般的な考え方である。
シャーマニズムでは、先祖霊の崇拝が基調となっており、霊の存在が自明の精神世界に生きている。
これがやがて多神教に発展していく。多神教は、人間が生産力やエネルギーを思いのままに使えない文明レベルにおいて、自己の生存条件の大半を自然に依存するような時代の精神を反映したものであって、自己の生存は自然力への感謝と、その背後にある多神への崇拝へと向かっていた。
これが、次第に生産力やエネルギーを利用することに長けてきて、人がモノを支配することが当たり前の時代、つまり産業革命以降になると、人間の気分は一新され、多神教的な自然崇拝はうち捨てられ、自己愛中心の自分は神にも比肩するというイカロス的な人間が増えてくる。
こうした時代の人間にとって、富、財産、名誉、権力など天国的な条件の充足が、自分の無際限な欲望があるかぎり、自分の真の幸福たりえないことに気づき、人間であることの不条理を感じるということが起きてくる。
シャーマニズム時代は、自己愛人間が基調であり、それに対応する神は天国的幸福にある神であった。
ところが日常的にお手軽に、ほとんど天国的幸福に近い生存環境を得られる現代に至って、天国的幸福すら人を真に満足させるものではないということが知られるようになってくる。
ここに仏教やキリスト教などの一神教が成立してくる。一神教とは天国も地獄も心霊も超えたところにある。
世界の宗教は、こうした自然な宗教進化モデルどおりでなく、全然人間の生産力が乏しい2千年前の中東からキリスト教が発展し、同様に現代人のような豊かな生活ができたのは王族だけだった時代の2500年前の北インドに仏教が起こった。こうなったのは、一神教的精神の土壌のないまま、文明発展、生産力増強が行われれば、早晩人類は滅亡するというのを予見していた天の配剤だったように思う。