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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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怒り、嫌悪、貪欲の扱い

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◎肉体と心的エネルギー

人の心の中には、怒り、嫌悪、貪欲がうずまいている。

冥想ではこれらの取り扱いについては、意識に浮かび上がってきても、気にしない、相手にしない方向と、OSHOバグワンのダイナミック・メディテーションのように大きく身体を動かし、呼吸も荒くし、そのような情念への心的エネルギー供給源である肉体のエネルギーを低下させようという方向性がある。

伝統的組織宗教では、これに加えて、聖なるもの、天国的なシンボルに意識を集中させることで、こうした悪しき情感、観念からとりあえず集中をそらそうとするやり方もある。その延長としての観想もある。

自殺念慮対策などで言われるのは、そうした気分の高まりの時間帯は5分だとか30分だとかいわれるが、そうしたまずい想念のピークを避けようというケースと冥想では、根本的に方向性が異なる。

冥想では、いうなればこうしたネガティブな観念を根こそぎにしてしまおうというトライアルなのである。

人間には肉体があるので、肉体にまつわる、あるいは肉体に由来する世間体の悪いことは、排せつや、老化などいくらでもある。

肉体がエーテル体やアストラル体に心的エネルギーを供給するので、怒り、嫌悪、貪欲などの悪感情、悪想念が起こるというメカニズムはある。

でも肉体がある限り、そういうものは必ず起こってくるものではないのだろうか。

100歳超の長寿だった唐末の禅僧趙州には、十二時の歌というのがあり、それには生活実感もたっぷり込められている。晩年には歯が一本しかなく、それってどうよと問われて答えた話まで残っている。

如何に悟りすました禅僧でも。不愉快なものは不愉快であり、道元なども気に入らない弟子の居た場所の土を掘って捨てさせたりした。

この辺が悟りと人格が練れるのは異なると言われる所以なのだが、こういうのはまた世間から悟りそのものの価値をわからなくする原因にもなっている。

本当にしっくりくるもの、真実の本物を求める感性、そうしたものがまともなセンスへと導く。ブランド品の売り言葉は、あなたの繊細な感性に訴える「本物」だが、厳密にいえば「本物」とはいつか壊れたり失われたりするものではない。

一方で真の愛の現れは、かそけく、簡単に壊されやすいものであり、最初から愛でる気持ちがないと気がつくことはまれである。金を媒介とせずそうしたものにコンタクトするのがまともなやり方であり、金を媒介とした瞬間に逸れるということはある。

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