◎霊界における太陰を目撃してなんぼ
最後に十六の由来について。
出口王仁三郎の人間原理は、一霊四魂。特殊な四元論を適用しており、天火水地を四大とする。天は、陽にして主、地は陰にして従。太陽が火、太陰が水であって、その宇宙観は、霊界における太陰を目撃しないとわからないようになっている。
この四大と四魂の配合は
天 奇魂 霊の霊
火 荒魂 霊の体
水 和魂 体の霊
地 幸魂 体の体
以下の文では、奇魂中に四魂が、微妙な配合で具備されている例から奇魂以外の三魂についてもその中に四魂の要素を含むとする。
よって四魂×四で十六を得る。
『天を代表するものは奇魂であるが、これは和魂が其活動の中枢を代表するということで、無論その中には、他の三魂も具備されて居る。
割合から云えば、和魂四分五厘、奇魂二分五厘、荒魂、幸魂各々一分五厘位の見当である。
他の火、水、地等に於ても同様である。即ち天の中に四魂を配し、火にも水にも地にも、各々四魂を配すれば、十六種の配合を得。更に其十六種の各魂に、復た四魂を配すれば、六十四種となり、更に之を繰り返せば二百六十種となり、更に幾度も之を重ぬれば、六万五千五百三十六種ともなる。
霊魂の活用は、斯くの如く複雑で且つ微妙であるから、推理分析等にたよって見ても、容易に其根底まで究め得ない。例えば天体から放射する光線や温熱にも、必らず神意の発動があるに相違ないが、現在の科学の程度では、殆んど之を捕うるに由なしである。
古来行われた星卜術などは、幾分此間の機微を覗ったものに相違ないが、茫洋不正確の憾(うらみ)があったので、いつしか社会から葬り去られて了った。』
(出口王仁三郎著作集 第1巻 神と人間
大本略義 理想の標準/読売新聞社P231-232から引用)
霊界物語は霊主体従を説くが、体とは、肉体・物質しか見ようとしない現今の科学であり、霊とは、エーテル体以上の微細身であるが、古神道にあっては、大神の内流という大神との直接コンタクトがある、つまり神を承知していること(大神とのリンク)が大前提の「霊」であって、個々人が分離しているだけの霊ではない。
黒い太陽を見るのは、古神道だけではないが、その程度は視認しないと、霊的科学は始まらないと出口王仁三郎は言っているわけだ。
最後に十六の由来について。
出口王仁三郎の人間原理は、一霊四魂。特殊な四元論を適用しており、天火水地を四大とする。天は、陽にして主、地は陰にして従。太陽が火、太陰が水であって、その宇宙観は、霊界における太陰を目撃しないとわからないようになっている。
この四大と四魂の配合は
天 奇魂 霊の霊
火 荒魂 霊の体
水 和魂 体の霊
地 幸魂 体の体
以下の文では、奇魂中に四魂が、微妙な配合で具備されている例から奇魂以外の三魂についてもその中に四魂の要素を含むとする。
よって四魂×四で十六を得る。
『天を代表するものは奇魂であるが、これは和魂が其活動の中枢を代表するということで、無論その中には、他の三魂も具備されて居る。
割合から云えば、和魂四分五厘、奇魂二分五厘、荒魂、幸魂各々一分五厘位の見当である。
他の火、水、地等に於ても同様である。即ち天の中に四魂を配し、火にも水にも地にも、各々四魂を配すれば、十六種の配合を得。更に其十六種の各魂に、復た四魂を配すれば、六十四種となり、更に之を繰り返せば二百六十種となり、更に幾度も之を重ぬれば、六万五千五百三十六種ともなる。
霊魂の活用は、斯くの如く複雑で且つ微妙であるから、推理分析等にたよって見ても、容易に其根底まで究め得ない。例えば天体から放射する光線や温熱にも、必らず神意の発動があるに相違ないが、現在の科学の程度では、殆んど之を捕うるに由なしである。
古来行われた星卜術などは、幾分此間の機微を覗ったものに相違ないが、茫洋不正確の憾(うらみ)があったので、いつしか社会から葬り去られて了った。』
(出口王仁三郎著作集 第1巻 神と人間
大本略義 理想の標準/読売新聞社P231-232から引用)
霊界物語は霊主体従を説くが、体とは、肉体・物質しか見ようとしない現今の科学であり、霊とは、エーテル体以上の微細身であるが、古神道にあっては、大神の内流という大神との直接コンタクトがある、つまり神を承知していること(大神とのリンク)が大前提の「霊」であって、個々人が分離しているだけの霊ではない。
黒い太陽を見るのは、古神道だけではないが、その程度は視認しないと、霊的科学は始まらないと出口王仁三郎は言っているわけだ。