◎御稜威(みいず)本位制
◎神の御前にひれふしおろがむ
今や国民の貧困化は、進行の度を加え、親の貧困を言うのは親のメンツにかかわるのか、子供の貧困という形で、マスコミでも取り上げるようになっている。アベノミクスでは経済成長しているとか景気上向きという一方で広範に貧困化が進んでいるのは具合が悪いのだが、貧富の二極化も言われ、座って食べているだけで巨額の財を集める人がいる一方で、非正規雇用で衣食に充てる金にも窮乏し惨死するに至るような人もいる。
一方で国と国との競争、産業の国際間競争、国家の興廃、戦争の動機、人心の腐敗、あまたの犯罪は、ほとんどが金を獲得しようとする欲望に起因するものである。
こうした金銀本位の財政経済の構造は、限りある財貨をもって、限りない欲望に対して満足させようとする故に、膨大な罪過を発生させて、ばらまき、結果として地上に地獄を現出させる原因となっている。
金銀本位に対置するものとして、出口王仁三郎は、天皇現人神であった時代に配慮してか、御稜威(みいず)本位というわかりにくい概念を出してきた。これは、天皇が人類のトップであり、彼の徳の多寡に対応して通貨発行を行うというようなイメージなのだろうと思う。
御稜威(みいず)本位というのは更には土地本位でもあるという説明になると、ますます今と変わらないと思われてしまう。
次の時代は、万人が神を知っている組織宗教のない時代。そうした中で、本来個人も国家も必要以上の財貨を保有する必要はない(何のための巨富、誰のための巨富)。
戦争なく治安が良ければ、経済コストは劇的に安くあがる。そして、個々人は自分が傷つけられることを恐れるものではない。
個々人はユニークであり、どんな職業であっても王侯のように堂々と生きる。御稜威(みいず)本位とは、181位階と連動するものであって、万人は『神の御前にひれふしおろがむ』という実感を共有し得て初めて成立するのだろうと思う。
古事記仲哀天皇の段では、金銀本位の西方(日本から見たら西方であって、朝鮮以西のすべての国家、つまり日本以外のすべて)国家は、虚栄虚偽を張り、相互の生存競争をもって、目的とし、個人の人生の目的も大差はないと示している。
なぜか古事記仲哀天皇の段では、日本だけが金銀本位でないまともな国になることを見ているのである。そこで天皇が暗闇で崩御されていたというような妙な事件が描かれている。
◎神の御前にひれふしおろがむ
今や国民の貧困化は、進行の度を加え、親の貧困を言うのは親のメンツにかかわるのか、子供の貧困という形で、マスコミでも取り上げるようになっている。アベノミクスでは経済成長しているとか景気上向きという一方で広範に貧困化が進んでいるのは具合が悪いのだが、貧富の二極化も言われ、座って食べているだけで巨額の財を集める人がいる一方で、非正規雇用で衣食に充てる金にも窮乏し惨死するに至るような人もいる。
一方で国と国との競争、産業の国際間競争、国家の興廃、戦争の動機、人心の腐敗、あまたの犯罪は、ほとんどが金を獲得しようとする欲望に起因するものである。
こうした金銀本位の財政経済の構造は、限りある財貨をもって、限りない欲望に対して満足させようとする故に、膨大な罪過を発生させて、ばらまき、結果として地上に地獄を現出させる原因となっている。
金銀本位に対置するものとして、出口王仁三郎は、天皇現人神であった時代に配慮してか、御稜威(みいず)本位というわかりにくい概念を出してきた。これは、天皇が人類のトップであり、彼の徳の多寡に対応して通貨発行を行うというようなイメージなのだろうと思う。
御稜威(みいず)本位というのは更には土地本位でもあるという説明になると、ますます今と変わらないと思われてしまう。
次の時代は、万人が神を知っている組織宗教のない時代。そうした中で、本来個人も国家も必要以上の財貨を保有する必要はない(何のための巨富、誰のための巨富)。
戦争なく治安が良ければ、経済コストは劇的に安くあがる。そして、個々人は自分が傷つけられることを恐れるものではない。
個々人はユニークであり、どんな職業であっても王侯のように堂々と生きる。御稜威(みいず)本位とは、181位階と連動するものであって、万人は『神の御前にひれふしおろがむ』という実感を共有し得て初めて成立するのだろうと思う。
古事記仲哀天皇の段では、金銀本位の西方(日本から見たら西方であって、朝鮮以西のすべての国家、つまり日本以外のすべて)国家は、虚栄虚偽を張り、相互の生存競争をもって、目的とし、個人の人生の目的も大差はないと示している。
なぜか古事記仲哀天皇の段では、日本だけが金銀本位でないまともな国になることを見ているのである。そこで天皇が暗闇で崩御されていたというような妙な事件が描かれている。