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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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禅と念仏-1

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◎三十年の修行

禅と念仏をやるのは、禅浄双修といい、禅関策進という書でお目にかかることができる。ところがそれを実地にやって開眼した人がいた。それが黄檗宗管長加藤慈光氏。

『私は二十歳で僧堂に入り、昼参夜参公案禅を参究したが、三年目頃から幾多の公案を透過しても、理会的解会的なことはできても真実の見性成仏はできないことを痛感するようになり、『禅関策進』を繰返し繰返し幾度も読み、自分の信念に間違いのないことを確認した。

老師方にもこのことを尋ねたが、ただ公案を一通りすませて悟後の修行に研鑽しなさいと言うことで、満足の行く回答は一つも得られなかった。

以後見性の因縁に深い老師方を尋ねるうちに、天龍の台岳老師の見性の因縁を聞き、大正九年雨安居に天龍に掛錫し、入室の時老師にその信念を申上げ、激励の言葉をいただいて孜々として精進した。

三夏を過ぎて後、黄檗禅堂独立のため呼び戻された。しかし進む道は一本である、見性成仏は何処にいてもできる己れの信念次第と思って祖山に帰った。』
(講座禅 第5巻/西谷啓治/禅と文化 筑摩書房 P321から引用)

禅と念仏とは、どっちつかずであって、一道専心でないから中途半端なものに思われがちである。ところが、一個の人間を見ると、ある時期には、只管打坐、ある時期には公案禅、ある時期には、念仏など、自分にあったものをその時の精神状態に応じて、変えていくことはままあることである。

この本気で物事に取り組む、本気で物事をやることが軽視される時代にあって、簡単に冥想法を変えすぎるのは、いささかどうかと思われるところもある。だが、例えば只管打坐専一にやり続けた人間が必ずしも身心脱落するとは限らないという側面も考えると、精神状態が坐相を決めるということもあるから、変えすぎることを一概には否定できにくい面はある。

ともあれ、加藤慈光氏は、見性に大いに心残りを持ちながら、天龍での修行にピリオドを打った。

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