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禅問答から蜜とミルクの流れる川へ

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◎クリシュナムルティや普化など

只管打坐について、そのステップを見てきたが、達磨などに見る一般的なステップとしては、空を経て、宇宙との一体があり、それも棄てられ、何とも名状しがたい神秘である非在(なにもかもなし)へと進むようである。

それは、十牛図に充てれば第三図の見性以降第八図の一円相に照応していると考えられる。

これも一つのステップであるが、ダンテス・ダイジの只管打坐の7ステップは、そうではなくて、全く現象面からのステップ、有の世界でのステップの話である。

こうした現象面、色(しき)の世界のことは禅の修行プロセスでは切って捨てられるものではあるが、敢えてそれを提示して見せているところに、ダンテス・ダイジの面目躍如たる部分があるように思う。

クリシュナムルティは、只管打坐での悟りがどのようなものか説き続けていたが、その彼にしても個人的なエピソードの中には超能力、霊能力を発揮していると思われる話がいくつか伝わっている。

只管打坐の修行過程では、あらゆる世俗のファクターは排除されるのだが、身心脱落後は、現世に戻り、人間たちとともに生きる。
それが十牛図の第十図。

つまりクリシュナムルティに見るように只管打坐の悟りの後は、神通力が発現するとことさらに主張してみせているのがダンテス・ダイジであると思う。

大悟の後、禅寺の片隅でひっそり棲息する覚者もいるし、臨済の盟友普化のように俗人の目には単なる狂人にしか見えない覚者もいる。

だが、とりつくしまのない禅問答も、大悟の後には蜜とミルクの流れる川に至ることを示しているのが、この只管打坐の7ステップだと思う。

◎エクスタシス 夢の夢なる-88
◎現代文明あるいは現代人のウィークポイント-77
◎生の世界から死をクリア-6

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