◎伊豆能売(いづのめ)、天国と地獄の結婚
聖人聖者のご神業は、俗人にはほとんど説明をしないために、後世になってから彼らの片言隻句をもって、その内容を推測する他はない。
代表的なのは、パドマサンバヴァのチベットの土着異教神を帰順せしめ、仏教中心の神的秩序をもたらしたことや、役行者が日本で同じようなことをしていたらしいことが挙げられる。
出口王仁三郎の歌集言華から。
『日吉丸日出吉(ひでよし)となるそれまでは、矢矧(やはぎ)の橋の月を見しかな
和歌麿も五六七(みろく)の柱となるまでに
淋しき人屋の月を見しかな
山川をもろもろこしや蒙古まで
いのちをすてに渡りし吾かな
神の子の光漸(ようやく)くますかがみ
空に輝く月の面(おも)かな
栄え行く神の大道は
中秋の空にかがやく月のおんかげ
業平や日蓮親鸞日吉丸南洲
一つになりて働く
もろもろの星の教の光あせて
空一面にかがやく月かげ』
(言華/出口王仁三郎/みいず舎P80から引用)
※和歌麿とは、柿本人麻呂のことか。彼も最後は石見で流罪刑死。
日本史上で、ご神業を遂行してきたメンバーとして彼は、人麻呂、業平、日蓮、親鸞、日吉丸、南洲を挙げる。星には一等星二等星あるが、最近の一等星は秀吉と西郷南洲とする。
かれらは一つになって働いたが、星は星であって、月が輝けば星の影は薄い。月とは、自分で坐る冥想の時代のこと。
出口王仁三郎は『みろくの世に宗教があってたまるか』と喝破したのだが、その先がけが彼だったのだろう。彼の号である瑞月は、太陽と合体して両性具有の伊豆能売(いづのめ)となる。
そのシーンが高天原でのスサノオと天照大神との誓約シーン。
聖人聖者のご神業は、俗人にはほとんど説明をしないために、後世になってから彼らの片言隻句をもって、その内容を推測する他はない。
代表的なのは、パドマサンバヴァのチベットの土着異教神を帰順せしめ、仏教中心の神的秩序をもたらしたことや、役行者が日本で同じようなことをしていたらしいことが挙げられる。
出口王仁三郎の歌集言華から。
『日吉丸日出吉(ひでよし)となるそれまでは、矢矧(やはぎ)の橋の月を見しかな
和歌麿も五六七(みろく)の柱となるまでに
淋しき人屋の月を見しかな
山川をもろもろこしや蒙古まで
いのちをすてに渡りし吾かな
神の子の光漸(ようやく)くますかがみ
空に輝く月の面(おも)かな
栄え行く神の大道は
中秋の空にかがやく月のおんかげ
業平や日蓮親鸞日吉丸南洲
一つになりて働く
もろもろの星の教の光あせて
空一面にかがやく月かげ』
(言華/出口王仁三郎/みいず舎P80から引用)
※和歌麿とは、柿本人麻呂のことか。彼も最後は石見で流罪刑死。
日本史上で、ご神業を遂行してきたメンバーとして彼は、人麻呂、業平、日蓮、親鸞、日吉丸、南洲を挙げる。星には一等星二等星あるが、最近の一等星は秀吉と西郷南洲とする。
かれらは一つになって働いたが、星は星であって、月が輝けば星の影は薄い。月とは、自分で坐る冥想の時代のこと。
出口王仁三郎は『みろくの世に宗教があってたまるか』と喝破したのだが、その先がけが彼だったのだろう。彼の号である瑞月は、太陽と合体して両性具有の伊豆能売(いづのめ)となる。
そのシーンが高天原でのスサノオと天照大神との誓約シーン。