◎人の頭には穴が空いている
仏教で三毒というのは、貪(むさぼる、欲深)、 瞋(怒り)、癡(迷妄、迷い、疑い)。
これを積善陰徳の功過格風に読むと本筋ではないのだろう。
スワミ・ラーマ(スワミジ)は、以下のように語っているが、これは三毒のことを言っている。
『「神の恩寵はつねにそそいでいるが、一般にいって、人の頭には穴が空いている」スワミジは言った。
「それでなぜ神の恩寵に浴せるだろう?恐れの穴、疑念の穴、憎しみ、怒り、嫉妬、貪欲、欲望、執着の穴をふさいでいくのは、霊性に欠かせぬ修養の一部だ。
あらゆる努力を真摯に行い、完全に力つき、絶望の淵で泣き叫ぶ。この抑えきれぬ叫びこそ、祈りの最上の形だ。献身の扉が開き、忘我の境地へと続く。この忘我の境地が神の恩寵だ。恩寵とは、着実で真塾な努力を重ねて受けとる結実だ。』
(ヒマラヤ聖者最後の教え -伝説のヨガ・マスターの覚醒と解脱 スワミ・ラーマその生と死-下 パンディット・ラジマニ・ティグナイト/著ヒカルランドP172から引用)
三毒が残っているうちには、その先へ進めない。聖者だって怒ることがあるなどと気にしていてはダメなのだ。
これは論理的には矛盾だが、そこがわからないと神の恩寵はないと思う。
ダンテス・ダイジの『恐怖の恵み』というのもそれに類する。
ウォーター・フロントなど低地に住んでいる人は水害に遭いやすいというのは、津波や2018年の一連の西日本大水害で学んだことである。だが、低地に住んでいる人は多く、生産流通などの基幹設備の多くが低地に設置されている。
だが、そのようにいつかひどい目に遭う選択をする人を見ると、悲しくなるものである。
自分を棄ててくれる男性しか選ばない女性。明らかに犯罪であることを犯す人などなど。
イエスではないが、人は自分が何をやっているのかわかっていない人は多いものだ。
そういう人はしばしば三毒で心を曇らせているのだろう。
日々の真摯な努力を。
仏教で三毒というのは、貪(むさぼる、欲深)、 瞋(怒り)、癡(迷妄、迷い、疑い)。
これを積善陰徳の功過格風に読むと本筋ではないのだろう。
スワミ・ラーマ(スワミジ)は、以下のように語っているが、これは三毒のことを言っている。
『「神の恩寵はつねにそそいでいるが、一般にいって、人の頭には穴が空いている」スワミジは言った。
「それでなぜ神の恩寵に浴せるだろう?恐れの穴、疑念の穴、憎しみ、怒り、嫉妬、貪欲、欲望、執着の穴をふさいでいくのは、霊性に欠かせぬ修養の一部だ。
あらゆる努力を真摯に行い、完全に力つき、絶望の淵で泣き叫ぶ。この抑えきれぬ叫びこそ、祈りの最上の形だ。献身の扉が開き、忘我の境地へと続く。この忘我の境地が神の恩寵だ。恩寵とは、着実で真塾な努力を重ねて受けとる結実だ。』
(ヒマラヤ聖者最後の教え -伝説のヨガ・マスターの覚醒と解脱 スワミ・ラーマその生と死-下 パンディット・ラジマニ・ティグナイト/著ヒカルランドP172から引用)
三毒が残っているうちには、その先へ進めない。聖者だって怒ることがあるなどと気にしていてはダメなのだ。
これは論理的には矛盾だが、そこがわからないと神の恩寵はないと思う。
ダンテス・ダイジの『恐怖の恵み』というのもそれに類する。
ウォーター・フロントなど低地に住んでいる人は水害に遭いやすいというのは、津波や2018年の一連の西日本大水害で学んだことである。だが、低地に住んでいる人は多く、生産流通などの基幹設備の多くが低地に設置されている。
だが、そのようにいつかひどい目に遭う選択をする人を見ると、悲しくなるものである。
自分を棄ててくれる男性しか選ばない女性。明らかに犯罪であることを犯す人などなど。
イエスではないが、人は自分が何をやっているのかわかっていない人は多いものだ。
そういう人はしばしば三毒で心を曇らせているのだろう。
日々の真摯な努力を。