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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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根の国に落行く霊魂を救はむと

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◎出口王仁三郎のいろは歌から

明治30年頃のこと。高熊山で、あまりにも悲惨なこの時代の終わりと希望あふれる新時代の始まりを幻視した出口王仁三郎は、同様の幻視から来たる時代への危機感を持っているのが出口ナオだと直感し、彼女とともに布教することに決めた。

出口王仁三郎のいろは歌から。

『○ねの国に落行く霊魂を救はむと、厳の御魂の大御神、瑞の御魂と諸共に、綾の高天に現はれて、竜宮館の渡し場に、救世の船を浮べつつ、

待たせ給へど烏羽玉の、暗に迷ヘる人草は、取り付嶋も荒塩の、塩の八百路の八塩路の、浪に漂よい迷ひつつ、沖の彼方ヘ走せ行くを、

救いの船に棹さして、呼ベど叫ベど不知火の、浪のまにまに隠れつつ、海の藻屑と鳴戸灘、危ふき渦に近寄りて、行衛も波の底の国、流れ行くこそ悲しけれ。』

厳の大御神、瑞の大御神が地獄に落ちていく御魂を救い上げようと、竜宮館にお出ましになった。よって竜宮館は、天の八街(やちまた)であり、中有、バルドのことであることがわかる。

厳瑞の二神は、大々的レスキュー・チームを組成したが、その結果は、どうだったかと言うと、

呼ベど叫ベど不知火の
浪のまにまに隠れつつ、
海の藻屑と鳴戸灘、
危ふき渦に近寄りて、
行衛も波の底の国、
流れ行くこそ
悲しけれ。

どうしてこんなことになってしまったのだろうか。

この予言のあった大正6年からは100年ほど経過。出口王仁三郎は、世界大戦はもう一度起こるとみて、そのためのご神業も行った。

だが21世紀の今、依然、時代も人も多くは、地獄的と言わざるを得ず、危機は去ってはいない。

出口王仁三郎の文語の文は、北村透谷などに比べればよほど読みやすいのだが、国会図書館デジタルアーカイブで無料で読めるけれども読む人は多くはいない。


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