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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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達磨が芦の葉に乗り洛陽に入る

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◎達磨の軽さを見る

論語で孔子が高弟顔回清貧を賞賛する。

『子曰く、
「賢なるかな回や。一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在り。
人は其(そ)の憂ひに堪へず。回や其の楽しみを改めず。賢なるかな回や」。』

顔回は、瓢箪で済ませるワン・ドリンク、ワン・フードで下町に住んでいるが、そんな粗末な生活に普通の人は堪えられない。顔回のことを賢だと褒めるが、そういう孔子はどうか。

一日、利休が巡礼が腰につけている瓢箪をもらいうけ花入れを作ったことがあるが、孫の宗旦にも瓢箪花入れがあって、その背面に狂歌が書き付けてある。

瓢箪の達磨になるは道理なり 芦の葉にのるかろき身なれば


これは、瓢箪の軽さを達磨の軽さにかけてあるだけだが、誰が達磨を軽いと観じたのだろうか。

達磨は中国入りし、まず梁の武帝に説法し、さらに洛陽を目ざし揚子江をのぼったが、その時、一葉の蘆の葉に乗って魏に渡った。

その軽さは、エル・グレコの見た昇天のイエスの軽さでもあろう


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