◎グルジェフが故意に自動車で事故る
ある日、グルジェフは猛スピードで自動車を運転し、立木に故意に衝突し、多くの箇所を骨折し出血しながら25キロ歩いてアシュラムまで帰った。医者は、歩ける状態の肉体ではないと非常に驚いたが、彼の骨折は3週間で完治したという。
自己観察と自己想起は、グルジェフ・ワークの代表的なものである。OSHOバグワンは、グルジェフ・ワークの本質は、肉体と意識の分離と見る(神秘家の道/OSHOバグワン/市民出版社P706-710)。肉体がどんなにぼろぼろになっても自意識には影響がないことを自証するのだ。
だからと言って、故意に交通事故を起こしていては命がいくつあっても足らないので、こんなやり方はクレイジーであって誰もができる修行ではない。チベットのティロパは、弟子ナロパに崖から飛び降りろと指示して、実際に飛び降りたのも同じ狙いだったかもしれない。
だが、自意識と肉体が同一不可分であるというのは、現代社会の通念であり、現代科学の拠って立つ常識である。
出口王仁三郎は、霊主体従を唱えたが、霊が自意識、体は肉体なので、グルジェフと同じことを提唱していた。出口王仁三郎もグルジェフも同じ時代に生きたからだろうか。
霊というと、日本人は、イタコやユタやノロなどのチャネラーの降霊を連想してしまうことが多い。そういう誤解を解くためにも七つの身体論はとても分かりやすい理論である。
自己想起みたいに、自己とは最後はアートマン=本来の自己だが、そこへの意識深化をさせるために、自分の今から誕生まで記憶を遡行させるなどいろいろな技法がある。
そして、それらのことは、グルからの指示命令によるものでなく、自発的に行われなければならない。
その辺が、洗脳という広義の指示命令では、到達できないということなのだが。
ある日、グルジェフは猛スピードで自動車を運転し、立木に故意に衝突し、多くの箇所を骨折し出血しながら25キロ歩いてアシュラムまで帰った。医者は、歩ける状態の肉体ではないと非常に驚いたが、彼の骨折は3週間で完治したという。
自己観察と自己想起は、グルジェフ・ワークの代表的なものである。OSHOバグワンは、グルジェフ・ワークの本質は、肉体と意識の分離と見る(神秘家の道/OSHOバグワン/市民出版社P706-710)。肉体がどんなにぼろぼろになっても自意識には影響がないことを自証するのだ。
だからと言って、故意に交通事故を起こしていては命がいくつあっても足らないので、こんなやり方はクレイジーであって誰もができる修行ではない。チベットのティロパは、弟子ナロパに崖から飛び降りろと指示して、実際に飛び降りたのも同じ狙いだったかもしれない。
だが、自意識と肉体が同一不可分であるというのは、現代社会の通念であり、現代科学の拠って立つ常識である。
出口王仁三郎は、霊主体従を唱えたが、霊が自意識、体は肉体なので、グルジェフと同じことを提唱していた。出口王仁三郎もグルジェフも同じ時代に生きたからだろうか。
霊というと、日本人は、イタコやユタやノロなどのチャネラーの降霊を連想してしまうことが多い。そういう誤解を解くためにも七つの身体論はとても分かりやすい理論である。
自己想起みたいに、自己とは最後はアートマン=本来の自己だが、そこへの意識深化をさせるために、自分の今から誕生まで記憶を遡行させるなどいろいろな技法がある。
そして、それらのことは、グルからの指示命令によるものでなく、自発的に行われなければならない。
その辺が、洗脳という広義の指示命令では、到達できないということなのだが。