Quantcast
Channel: アヴァンギャルド精神世界
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3535

死をも恐れぬ会津武士

$
0
0
◎生死を離れねば何事も役に立たず

NHK大河ドラマ八重の桜で会津武士は死をも恐れず戦った。前回の放送で家老萱野権兵衛役の柳沢慎吾が白装束で割腹直前に、部屋を出ていくときに、室の戸を開け、きちんと90度曲がり廊下の中央を歩いて行ったのには、一瞬のことながら武士の所作の美しさをみせてもらった。武士は大道の中央を歩き、角では直角に曲がるもの。

会津武士の美しさは、平生より死をも恐れぬことにある。その地域社会全体に死を恐れない、あるいは死と取り組むという気風があれば、その社会はやがて生をも死をも超えた覚者を定期的に産んでいくことになる。

それは、会津だけではなく、武家社会を通じて全国にあった風俗であったものだ。

極楽も地獄も先ずは
有明の月の
心にかかる雲もなし
(上杉謙信/謙信家記)

武士(もののふ)の学ぶ教へは 押しなべて
そのきはめには 死の一つなり
(塚原 卜伝)

毎朝毎夕、改めて死に死に、常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生涯落度なく、家業を仕果たすべきなり
葉隠

生死を離るべき事、武士たるものは、生死を離れねば何事も役に立たず、万能一心と云ふも、有心のやうに聞ゆれども、実は生死を離れたることなり。その上にて、如何様の手柄もさるるものなり。芸能などは道に引入るる縁迄なり
(葉隠)

生死を離れるとは、生死の区別を超えるということであって、生の側から窮めるということ。武士の冥想は禅と決まっている。

禅では、チャクラがどうとか、七つのボディがどうとか、グラウンディングがどうとか、観想で神仏をビジョンで見るとか、アセンションとか、南無阿弥陀仏とか、南無妙法蓮華経とか、願望実現などということは一切言わない。

若年のうちに死の問題にけりをつけられれば、見事な一生となるだろう。それが葉隠の「如何様の手柄もさるるものなり」。生と死に区別がないと言うは易くそれを徹底するのは簡単ではないが、武士の時代にはそういうベクトルが生きていたし、第二次世界大戦の頃までには確かにあったように思う。







【悟りとは何か】 【ダンテス・ダイジ】 【クリシュナムルティ】 【OSHOバグワン】 【出口王仁三郎】 【道元】
【生の側から窮める】 【死の側から窮める】 【通俗人間性からのジャンプ】
【肉体】 【エーテル体】 【アストラル体】 【メンタル体】 【コーザル体】 【アートマン】 【ニルヴァーナ】
【アトランティス】 【現代文明】 【日本の行く末】




Viewing all articles
Browse latest Browse all 3535

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>