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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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戦前の日本人気質の骨抜き

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◎天皇に殉ずると他人に親切は同義

一億火の玉、撃ちてしやまむなど、公に殉ずるという日本人の気質は、戦前戦中において、極めて純粋であり、世界史的には類例を見ないものだろうが、日本の歴史から見て、それが特殊なものでないことは、以下の例を見れば明らかである。

〇楠三代記の楠公の言
  生きんと欲すれば必ず破れ 死なんと欲すれば必ず勝つ
 (日本国の軍人には生きて還るという心懸けの者はない。(だが満州から真っ先に帰ったのは軍人だったが))

◎万葉集に
   海往かば水潜屍(みずくかばね)、山往かば草生す屍、大君の辺にこそ死なめ閑には死なじ顧みはせじ。

◎同上
   東人の立つる言だて
 額には矢は立つとも脊には瘡は負はじと云々。
 
報本反始とは、もともとは礼記にある言葉で、本に報い、始めに反 (かえ) るということ。戦前は、祖先信仰と国家神道推進のため政府に盛んに宣伝された言葉だが、出口王仁三郎は別の意味で用いている。

すなわち人間は大神の内流とともに生きるものであって、大神を感得する(始めに反 (かえ) る)ことでこの世の人間の181位階を承知する。その上で、天皇陛下に殉ずる(本に報いる)ことが、国難にあっては日本人の自然な心性である。

天皇陛下に殉ずると言えば、戦争や特攻を連想して、イメージが悪いと思う人もいるかもしれないが、平時においては、他人に親切にする、喜んで他人のために我が身を犠牲にするということである。戦前の国家神道と戦争推進政策の反動からか、天皇陛下に殉ずることを悪いことと考える人も多いのかもしれないが、本来無私は、覚者の心性であり、善事を行う土壌である。

天意・天命とは、天佑と同義であり、神を知り神を敬えば、自ずと天佑を保全するという生き方になる。大神も天地も天壤無窮(永遠)であり、それは凡そ人間の属性ではないが、そうした中で永遠の属性である万世一系の天皇を戴くことは、日本が神国である最大の証拠である。

そこで、禁秘御抄に順徳神皇の凡そ禁中の作法は神事を先にし云々という言葉が出てくる。


さて戦前において純粋だった滅私奉公の日本人の精神は、当時から予見されたとおり、今や骨抜きとなりぐにゃぐにゃになった。それでも

日々冥想を。

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