◎無相は空なく不空もなし
道元が師の如浄に「因果は感じるべきものなのでしょうか」と質問した。(宝慶記)
すると如浄は、「因果を否定してはいけない。
永嘉禅師は、証道歌で『闊達の空は因果を撥(はら)う、 莽莽蕩蕩(もうもうとうとう)として殃禍(おうか)を招く。(大意:現象には何も実体がないという理屈だけで世を処して行けば、そのメカニズムは明白にはわからないものだが、結局ひどい災いを招くものだ。)』と言っているように、(そんな人は)仏道修行という仏法の中において、善根を断った人であり、釈迦の子孫とはいえない。」
現象は実体がないから、どんな悪いことをしてもいいのだとか、あるいは有を捨て転変して変わり続ける空だけを信じるなどは、水に溺れるのを避けるために猛火に飛び込んでしまうようなものである。
だから証道歌のこの段の冒頭では、「無相は空なく不空もなし、即ち是れ如来の真実相。」とコーションを入れている。
空は第六身体だが、確かなものは何もないとか、現象には実体がないという一方通行の理屈で進む人が出てきがちだが、それで進むとひどい目に遭う。
なるほど、禅問答の代表的テキスト無門関の第一則の趙州狗子に『ワンちゃんに仏性があるのか』と問い、第二則の百丈野狐では、『キツネちゃんが『不昧因果』と断言された途端にキツネのままで大悟した』話が出ているわけだ。
へまをすると、死後500回もキツネの転生をやるはめになるぞ、と。
道元が師の如浄に「因果は感じるべきものなのでしょうか」と質問した。(宝慶記)
すると如浄は、「因果を否定してはいけない。
永嘉禅師は、証道歌で『闊達の空は因果を撥(はら)う、 莽莽蕩蕩(もうもうとうとう)として殃禍(おうか)を招く。(大意:現象には何も実体がないという理屈だけで世を処して行けば、そのメカニズムは明白にはわからないものだが、結局ひどい災いを招くものだ。)』と言っているように、(そんな人は)仏道修行という仏法の中において、善根を断った人であり、釈迦の子孫とはいえない。」
現象は実体がないから、どんな悪いことをしてもいいのだとか、あるいは有を捨て転変して変わり続ける空だけを信じるなどは、水に溺れるのを避けるために猛火に飛び込んでしまうようなものである。
だから証道歌のこの段の冒頭では、「無相は空なく不空もなし、即ち是れ如来の真実相。」とコーションを入れている。
空は第六身体だが、確かなものは何もないとか、現象には実体がないという一方通行の理屈で進む人が出てきがちだが、それで進むとひどい目に遭う。
なるほど、禅問答の代表的テキスト無門関の第一則の趙州狗子に『ワンちゃんに仏性があるのか』と問い、第二則の百丈野狐では、『キツネちゃんが『不昧因果』と断言された途端にキツネのままで大悟した』話が出ているわけだ。
へまをすると、死後500回もキツネの転生をやるはめになるぞ、と。