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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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現代と悟りの周辺的問題

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◎素地としての精神的成熟など

さらに周辺的派生的問題としては、とりあえず以下のようなものがあるが、これ以外にも多数のものがあり得る。

1.世界を逆転させないと本当のもの真実のものは出て来ないことはわかったとして、自分は本当にそこまで精神的に煮詰まっているのだろうか、または精神的に社会的に世界情勢的にそこまで追い詰められているのだろうかという自覚の問題。素地としての精神的成熟の問題。

2.悟りというものがまともな人間として生きる最低ラインだということはわかったが、悟り以降の現代社会との折り合いが難しい中で、悟った人が多い場合の社会ビジョンが呈示し得ていないという問題。単に悟った人が増えたなら予定調和な社会ができるということで、今の人が納得するのだろうかということ。

3.悟りの種別評価ができにくいこと
たとえば只管打坐。

只管打坐といっても、坐法こそ確立されているものの、道元身心脱落という境地は、クリシュナムルティの著作のなかで現れるothernessのことだとか、老子の語るタオのことだなどというその絶対的な境地の共通性については、語る者すらいない状態である。

現今の科学的手法では、この3体験が同質であることを証明する手段などないし、道元はともかく、老子が只管打坐みたいな坐法を用いていたかどうかについても何の言及もない。クリシュナムルティに至っては、冥想という手段すら勧めない。

つまり只管打坐から身心脱落を臨む、社会生活と親和性の高い冥想法ですら、「只管打坐というメソッドとその結果とは言えない結果である身心脱落、タオ、othernessとは、実は冥想という行為の結果である」ことについて、第三者に対して再現性のある証明はできないのである。

要するに少しでも論理的判断力のある人ならば、只管打坐で悟れるなどという理論は、再現性が覚束ないことから、一蹴してしまうだろう。


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このように、現代文明に突き付けられた厳然たるディレンマの全貌を更に知るには、まず人間とはどういうものか、この世界とはどういうからくりでできているかを知らなければならない。

【ザ・ジャンプ・アウト 004】







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