◎動物たちは通るが人間はほとんど通らない道
クリシュナムルティは、カリフォルニア州オーハイに住んでいた。近所の山登りをしていた時に真理を拾った。その道は動物たちは数多く通るが、人間はほとんど通らない道。その道で、恍惚となるほど美しく輝くものを拾って、思わずポケットにしまい込んだ。
クリシュナムルティは、真理を拾ったのだが、そのことを語るのは恥ずかしく、むしろ語りたくない。口にするだけでそれは壊れそうな感じがすると語る。
(出所:最後の日記/クリシュナムルティ/ 平河出版社p123-124)
このかそけき感じこそが愛の感じ、愛はこわれやすく移ろいやすい。真理は体験できるとは雖も、追体験、再体験は容易でない。
肉身は常に滅びへ向かうからには、永遠不壊といえばパワフルなものを想像しがちだが、それは肉身の属性ではない。肉身の常に死へ向かう人生を何度か繰り返し、転生の卒業が近くなってから真理を拾うことがあるのだろうと思う。
釈迦ですら大悟の直後に説法しようなどとは思わなかった。大悟にはブレイン・ダメージが起こりがちなもので、大悟の先を見すえるヒーローたちには、覚醒に堪え得る肉体というのがテーマになる。そう書くととても無機質な乾いた人生観に見えるかもしれないが、その根っこにははかなくかそけき愛があり、これを古代日本ではわびさびと呼んだ。
クリシュナムルティは、カリフォルニア州オーハイに住んでいた。近所の山登りをしていた時に真理を拾った。その道は動物たちは数多く通るが、人間はほとんど通らない道。その道で、恍惚となるほど美しく輝くものを拾って、思わずポケットにしまい込んだ。
クリシュナムルティは、真理を拾ったのだが、そのことを語るのは恥ずかしく、むしろ語りたくない。口にするだけでそれは壊れそうな感じがすると語る。
(出所:最後の日記/クリシュナムルティ/ 平河出版社p123-124)
このかそけき感じこそが愛の感じ、愛はこわれやすく移ろいやすい。真理は体験できるとは雖も、追体験、再体験は容易でない。
肉身は常に滅びへ向かうからには、永遠不壊といえばパワフルなものを想像しがちだが、それは肉身の属性ではない。肉身の常に死へ向かう人生を何度か繰り返し、転生の卒業が近くなってから真理を拾うことがあるのだろうと思う。
釈迦ですら大悟の直後に説法しようなどとは思わなかった。大悟にはブレイン・ダメージが起こりがちなもので、大悟の先を見すえるヒーローたちには、覚醒に堪え得る肉体というのがテーマになる。そう書くととても無機質な乾いた人生観に見えるかもしれないが、その根っこにははかなくかそけき愛があり、これを古代日本ではわびさびと呼んだ。