◎バンチェン・ラマの後継捜しまで
本格的に中共がチベット侵攻した1958年以降、チベット密教の博識の高僧たちは強制収容所に送られ、あるいは自らインドなどへ亡命し、弟子たちへの道統継承の手段は、チベット域内ではほとんど断たれた。
転生活仏は、僧院の精神的主柱であり、財政基盤そのものであったが、転生活仏を認定、教育訓練する師匠が去ったことで、それは断絶となった。文化大革命中、転生活仏の認定は封建的迷信であるということで、中共が禁止としたが、信者の一部は密かに転生活仏を探し出し、崇拝などすることもあったものの、15年間必要と言われるチベット密教の教育訓練が施されないため、その尊崇に値しない転生活仏も現れてしまうのも当然の流れだった。
こうした中、先代のバンチェン・ラマ後継の転生活仏が、中国側選定とインド亡命側選定と二人現れているが、選定はできるのだろうが、クンダリーニ・ヨーギ、チベット密教の指導者として育成できる環境を有するのはインド亡命側なのだろうと思う。
どんな宗派でも、専門道場、修道院があってすら大悟覚醒に至る者は数えるほど。いわんやそうした環境のない国においてをや。
本格的に中共がチベット侵攻した1958年以降、チベット密教の博識の高僧たちは強制収容所に送られ、あるいは自らインドなどへ亡命し、弟子たちへの道統継承の手段は、チベット域内ではほとんど断たれた。
転生活仏は、僧院の精神的主柱であり、財政基盤そのものであったが、転生活仏を認定、教育訓練する師匠が去ったことで、それは断絶となった。文化大革命中、転生活仏の認定は封建的迷信であるということで、中共が禁止としたが、信者の一部は密かに転生活仏を探し出し、崇拝などすることもあったものの、15年間必要と言われるチベット密教の教育訓練が施されないため、その尊崇に値しない転生活仏も現れてしまうのも当然の流れだった。
こうした中、先代のバンチェン・ラマ後継の転生活仏が、中国側選定とインド亡命側選定と二人現れているが、選定はできるのだろうが、クンダリーニ・ヨーギ、チベット密教の指導者として育成できる環境を有するのはインド亡命側なのだろうと思う。
どんな宗派でも、専門道場、修道院があってすら大悟覚醒に至る者は数えるほど。いわんやそうした環境のない国においてをや。