◎解読キーの隠されてきたヨーガ・スートラ
ヨーガ・スートラに無想三昧到達者の次の生のことが書いてある。
ヨーガ・スートラ1.19
『離身者たちと自性に没入したひとたちとには、存在の想念を含むところの似て非なる無想三昧がある』
(解説ヨーガ・スートラ/佐保田鶴治P52から引用)
これでは何だかよくわからない。
OSHOバグワンのヨーガ・スートラ講話Yoga: The Alpha and the Omegaの第二巻では、釈迦は直前世で無想三昧に達していたが、カルマの種は残していたので、再転生したなどと書いているので、この離身者とは、脱身でなく再転生であると見ている。
さらにOSHOバグワンは、無想三昧の後は1回の転生だけが可能であって、最後の生では、彼はカルマの種が動くに任せ、目撃者であることに徹するなどと、意味深長なことを書いている。
それにしても語義だけ追っても意味のとれない日本語になってしまうのだから、パタンジャリのヨーガ・スートラを現代語訳しようという無謀な挑戦をしようという猪武者がほとんどいなかったのは、この1条だけ取り上げてもわかる。
七つの身体論は、その解読キーになるべきだが、20世紀になるまで、隠されてきたのだと思う。
ヨーガ・スートラに無想三昧到達者の次の生のことが書いてある。
ヨーガ・スートラ1.19
『離身者たちと自性に没入したひとたちとには、存在の想念を含むところの似て非なる無想三昧がある』
(解説ヨーガ・スートラ/佐保田鶴治P52から引用)
これでは何だかよくわからない。
OSHOバグワンのヨーガ・スートラ講話Yoga: The Alpha and the Omegaの第二巻では、釈迦は直前世で無想三昧に達していたが、カルマの種は残していたので、再転生したなどと書いているので、この離身者とは、脱身でなく再転生であると見ている。
さらにOSHOバグワンは、無想三昧の後は1回の転生だけが可能であって、最後の生では、彼はカルマの種が動くに任せ、目撃者であることに徹するなどと、意味深長なことを書いている。
それにしても語義だけ追っても意味のとれない日本語になってしまうのだから、パタンジャリのヨーガ・スートラを現代語訳しようという無謀な挑戦をしようという猪武者がほとんどいなかったのは、この1条だけ取り上げてもわかる。
七つの身体論は、その解読キーになるべきだが、20世紀になるまで、隠されてきたのだと思う。