◎心に誠あるときは知らず識らずに言霊澄むなり
出口王仁三郎の歌集「言華 下巻」P347-347から
『来るべき世の変遷も言霊(ことたま)の力によりて明白となるなり
時じくに鳴り鳴り鳴りてとめどなき主(す)の言霊に地上は生くるも
神人は常住不断言霊の助けを受けて生き栄(さか)ゆなり
言霊の光に一切万有はいや永遠(とこしえ)の生命(いのち)を保つも
食物に含める五味のことごとは皆言霊の力なりけり
言霊の正しき人は久方の天(あめ)の恵みを満たせる神なり
肝向かう心に誠あるときは知らず識らずに言霊澄むなり』
空海は阿字本義を唱え、出口王仁三郎はス字本義を唱えた。あらゆる宗教の根本は同じという万教帰一説はあるが、それと同様にスで統一されるべき確信が出口王仁三郎にはあったのだろう。
人類には頭があって二本の手と二本の足があるように、人類共通に起こることと言えば、死の時に青いサンスクリットのオームの字が見え、チベット死者の書に描かれた8段階で肉体死が起こり、原初の光を見るということなのだろうと思う。
これを現代人に対して証明することは、現代人の側がその死のプロセスを感得できるほどの精妙な感覚と、意識の清明を維持できれば可能なのだろうと思う。だがそれには、然るべき訓練、準備が必要であって、この価値観の自由、思想信教の自由が認められた社会においてすら容易なことではない。
心に誠あるときは知らず識らずに言霊澄むというが、これだけ正気を保つのも厳しい日常において、心に誠を持ち続けるのも相当な修練が必要である。
出口王仁三郎の歌集「言華 下巻」P347-347から
『来るべき世の変遷も言霊(ことたま)の力によりて明白となるなり
時じくに鳴り鳴り鳴りてとめどなき主(す)の言霊に地上は生くるも
神人は常住不断言霊の助けを受けて生き栄(さか)ゆなり
言霊の光に一切万有はいや永遠(とこしえ)の生命(いのち)を保つも
食物に含める五味のことごとは皆言霊の力なりけり
言霊の正しき人は久方の天(あめ)の恵みを満たせる神なり
肝向かう心に誠あるときは知らず識らずに言霊澄むなり』
空海は阿字本義を唱え、出口王仁三郎はス字本義を唱えた。あらゆる宗教の根本は同じという万教帰一説はあるが、それと同様にスで統一されるべき確信が出口王仁三郎にはあったのだろう。
人類には頭があって二本の手と二本の足があるように、人類共通に起こることと言えば、死の時に青いサンスクリットのオームの字が見え、チベット死者の書に描かれた8段階で肉体死が起こり、原初の光を見るということなのだろうと思う。
これを現代人に対して証明することは、現代人の側がその死のプロセスを感得できるほどの精妙な感覚と、意識の清明を維持できれば可能なのだろうと思う。だがそれには、然るべき訓練、準備が必要であって、この価値観の自由、思想信教の自由が認められた社会においてすら容易なことではない。
心に誠あるときは知らず識らずに言霊澄むというが、これだけ正気を保つのも厳しい日常において、心に誠を持ち続けるのも相当な修練が必要である。