◎『有』の蔭に『無』あり
主神を立てる宗教は多い。アフラマズダ、大日如来、天御中主神、父なる神、エンソフ、アラーなどなど。他方主神を立てない宗教も少なくはない。ウパニシャッドの伝統を踏まえた釈迦仏教には、涅槃ニルヴァーナはあっても、ある程度の人格を彷彿させる主神はなく、主神宗教に慣れ親しんだ人々には奇異な感じを与えるものだ。
主神とは七つの身体論で言えば、第六身体アートマンであり、モーゼの出会った神あってあるもの、禅の本来の自己のことである。この『有』、あらゆる物質現象とあらゆる精神現象の総称がアートマンのことだが、個的人格は付与されていない。この『有』のことを主神として、各宗派がてんでんばらばらに名称を付けている。実態は同一のものであるにもかかわらず。
そしてまともな宗教であれば、『有』の蔭に必ず言葉では表現できない『無』ニルヴァーナがあるものだ。
こうした考え方を基本に出口王仁三郎は、古神道の幽斎、顕斎の二分類を出した。
顕斎とは、天つ神、国つ神、八百万神を祭祀するもので、宮殿あり、祝詞あり、幣帛があって、神の洪恩大徳を報謝して、敬虔の意を表する道のこと。
幽斎とは、真神を祈る道にして、宮社もなく、祭文もなく、幣帛もない。ただ願望するところを、自分の霊を以て祈祷し奉る道のこと。
真神の中にアートマンとニルヴァーナが配されている。
さて、新型コロナ肺炎に、ここで感染するしないは、天の意志、天機、天命だが、それを逃れてもいつかは寿命はやってくる。霊能力やハンドパワーで病気をその場は快癒させても、結局老病死から逃れることはできない。
恐れを知らぬ者より、おののく者の方が神仏に近い。
主神を立てる宗教は多い。アフラマズダ、大日如来、天御中主神、父なる神、エンソフ、アラーなどなど。他方主神を立てない宗教も少なくはない。ウパニシャッドの伝統を踏まえた釈迦仏教には、涅槃ニルヴァーナはあっても、ある程度の人格を彷彿させる主神はなく、主神宗教に慣れ親しんだ人々には奇異な感じを与えるものだ。
主神とは七つの身体論で言えば、第六身体アートマンであり、モーゼの出会った神あってあるもの、禅の本来の自己のことである。この『有』、あらゆる物質現象とあらゆる精神現象の総称がアートマンのことだが、個的人格は付与されていない。この『有』のことを主神として、各宗派がてんでんばらばらに名称を付けている。実態は同一のものであるにもかかわらず。
そしてまともな宗教であれば、『有』の蔭に必ず言葉では表現できない『無』ニルヴァーナがあるものだ。
こうした考え方を基本に出口王仁三郎は、古神道の幽斎、顕斎の二分類を出した。
顕斎とは、天つ神、国つ神、八百万神を祭祀するもので、宮殿あり、祝詞あり、幣帛があって、神の洪恩大徳を報謝して、敬虔の意を表する道のこと。
幽斎とは、真神を祈る道にして、宮社もなく、祭文もなく、幣帛もない。ただ願望するところを、自分の霊を以て祈祷し奉る道のこと。
真神の中にアートマンとニルヴァーナが配されている。
さて、新型コロナ肺炎に、ここで感染するしないは、天の意志、天機、天命だが、それを逃れてもいつかは寿命はやってくる。霊能力やハンドパワーで病気をその場は快癒させても、結局老病死から逃れることはできない。
恐れを知らぬ者より、おののく者の方が神仏に近い。