◎自分の逆転、世界の逆転-4
リグ・ベーダのソーマに酩酊した者の独白から。薬物経由でも第六身体であるアートマンに至ることはある。
人はソーマに飲まれ、ソーマになる。
『
1.かく実に、かくわが意向はあり、願わくは、牛と馬とを勝ち得んことを。---真実、我はソーマを飲めり。
2.前方へ揺り動かす風のごとく、飲みたる〔ソーマは〕、われを上方へおし上げたり。-真実、われは・・・・・・・・・。
3.飲みたる〔ソーマは〕、われを上方へおし上げたり。疾走する馬の車のごとく。――――真実、われは・・・・・・・・・・。
4.讃歌はわれに近づけり、啼く牝牛のいとしき仔牛におけるがごとく。――――――真実、われは・・・・・・・・・・。
5.車匠の車体におけるがごとく、われは讃歌を心に撓(た)めて、吟味す。-真実、われは・・・・・・・・・・。
6.五種族(ここでは全人類)は、一顧の値いすらなく我に見えたり。―――――真実、われは・・・・・・・・・・。
7.天地両界は、我が一翼にも匹敵せず。――――真実、われは・・・・・・・・・・。
8.我は偉大によりて天を凌駕せり。この大地をも。―――――真実、われは・・・・・・・・・・。
9.よし、われこの地を、ここにあるいはかしこに置かんと欲す。―――――真実、われは・・・・・・・・・・。
10.われは焼きつつ地を痛撃す、ここにあるいはかしこに。―――――真実、われは・・・・・・・・・・。
11.わが一翼は天にあり。他の一翼もてわれは下界に溝をつくれり。―――――真実、われは・・・・・・・・・・。
12.われは巨大なり、雲まで高く登れり。―――――真実、われは・・・・・・・・・・。
13.よく装備せられたる家としてわれは行く、神々に供物を運びつつ。―――――真実、われは・・・・・・・・・・。』
【リグ・ヴェーダの讃歌/ソーマの歌/世界古典文学全集ヴェーダ・アヴェスターP50から引用】
独白者は不明とされる。
ソーマは、『われ』というものを、肉体から上方へ押し上げるパワーのある飲みもの。さらに後半に至っては、「われ」は創造神と成り、世界を凌駕し、大地を配置し、大地を火で焼き、雷電で痛撃しさえもする。既に人間を越えて個人は逆転した。
ソーマの力は、禁欲的修行の果てにある上方の身体へ『われ』を押し上げるクンダリーニの上昇力として顕れるが、最後には人を神そのものに変える全く別種の上方へ押し上げる力であるように思う。
この独白の最初は牛と馬が欲しいという世俗の願望であったものが、やがて、全人類も一顧の値すらないとして、人間であることの限界を越えて、個別性のない世界に入っていく。
彼は、第六身体(アートマン)の世界に入っていったが、ソーマがその世界への直面と逆転というきっかけを与えたに違いない。
ただしソーマというサイケデリックな薬物も、それを服用することだけで、高度な意識レベルに到達するものではない。
というのは、誰もが死に直面するが、その時、誰もが神を見たり、悟りを開くわけではないからである。あるいは、みんながこの世の終わりの時に出くわしたとしても、みんながみんな悟りを開けるわけではないからである。
だから、古来ソーマは、人の飲み物ではなく、神の飲み物とされ、ただの人は手を出してはいけないのである。
リグ・ベーダのソーマに酩酊した者の独白から。薬物経由でも第六身体であるアートマンに至ることはある。
人はソーマに飲まれ、ソーマになる。
『
1.かく実に、かくわが意向はあり、願わくは、牛と馬とを勝ち得んことを。---真実、我はソーマを飲めり。
2.前方へ揺り動かす風のごとく、飲みたる〔ソーマは〕、われを上方へおし上げたり。-真実、われは・・・・・・・・・。
3.飲みたる〔ソーマは〕、われを上方へおし上げたり。疾走する馬の車のごとく。――――真実、われは・・・・・・・・・・。
4.讃歌はわれに近づけり、啼く牝牛のいとしき仔牛におけるがごとく。――――――真実、われは・・・・・・・・・・。
5.車匠の車体におけるがごとく、われは讃歌を心に撓(た)めて、吟味す。-真実、われは・・・・・・・・・・。
6.五種族(ここでは全人類)は、一顧の値いすらなく我に見えたり。―――――真実、われは・・・・・・・・・・。
7.天地両界は、我が一翼にも匹敵せず。――――真実、われは・・・・・・・・・・。
8.我は偉大によりて天を凌駕せり。この大地をも。―――――真実、われは・・・・・・・・・・。
9.よし、われこの地を、ここにあるいはかしこに置かんと欲す。―――――真実、われは・・・・・・・・・・。
10.われは焼きつつ地を痛撃す、ここにあるいはかしこに。―――――真実、われは・・・・・・・・・・。
11.わが一翼は天にあり。他の一翼もてわれは下界に溝をつくれり。―――――真実、われは・・・・・・・・・・。
12.われは巨大なり、雲まで高く登れり。―――――真実、われは・・・・・・・・・・。
13.よく装備せられたる家としてわれは行く、神々に供物を運びつつ。―――――真実、われは・・・・・・・・・・。』
【リグ・ヴェーダの讃歌/ソーマの歌/世界古典文学全集ヴェーダ・アヴェスターP50から引用】
独白者は不明とされる。
ソーマは、『われ』というものを、肉体から上方へ押し上げるパワーのある飲みもの。さらに後半に至っては、「われ」は創造神と成り、世界を凌駕し、大地を配置し、大地を火で焼き、雷電で痛撃しさえもする。既に人間を越えて個人は逆転した。
ソーマの力は、禁欲的修行の果てにある上方の身体へ『われ』を押し上げるクンダリーニの上昇力として顕れるが、最後には人を神そのものに変える全く別種の上方へ押し上げる力であるように思う。
この独白の最初は牛と馬が欲しいという世俗の願望であったものが、やがて、全人類も一顧の値すらないとして、人間であることの限界を越えて、個別性のない世界に入っていく。
彼は、第六身体(アートマン)の世界に入っていったが、ソーマがその世界への直面と逆転というきっかけを与えたに違いない。
ただしソーマというサイケデリックな薬物も、それを服用することだけで、高度な意識レベルに到達するものではない。
というのは、誰もが死に直面するが、その時、誰もが神を見たり、悟りを開くわけではないからである。あるいは、みんながこの世の終わりの時に出くわしたとしても、みんながみんな悟りを開けるわけではないからである。
だから、古来ソーマは、人の飲み物ではなく、神の飲み物とされ、ただの人は手を出してはいけないのである。