◎肉体−6
○宇宙空間への一時疎開−2 神のシナリオ
惑星間疎開計画の続き。
『「クラブ・オブ・アース」が一九八八年に出した声明では、「世界規模の人口増加を食い止めることは、核戦争を人類の日程に上げないことに次ぐ、重要な課題」としている。
富と権力や権威をもつ人々が、一般人並みにこうした状況をつい忘れてしまうことなど考えられない。状況に無知、無関心であっては富と権力の備わった地位を得ることはできないからだ。したがって、過剰人口で死にゆく地球に代わるものをどうするかといった議論が、当局最上層部では、間違いなく交わされてきているとするのが妥当な結論だろう。
この惑星間疎開計画がはじめて一般に知られるようになったのは一九七七年六月二〇日のことで、この日イギリスで『Alternative 3(第三の選択)』というタイトルのドキュメンタリードラマが放映された。制作はアングリアTVで、デイヴィッド・アンブローズとクリストファー・マイルズが脚本を書いている。
番組はインタビューと地球の状況が悪化している状況を描写したニュースシーンで構成されていた。地球を脱出し、新たな社会の構築につくすため、優れた能力をもつ多くの人間が選抜され、同時に洗脳された多くの「労働人間」を「一括積送品」として合わせて送り出し、月と火星にドーム型の基地を建設するという計画を描き出している。
この番組はイギリス国内では非人道的だとして怒りを買うことになり、すぐさまドキユメンタリー仕立のフィクションにすぎないとのテロップが流されるようになった。
また、この番組がまともに受け止められなかったそれなりの理由も、確かに存在した。主なインタビュー相手相手は、ボブ・グローディンと称するアメリカの元宇宙飛行士となっていたが、実在する人物ではなく、アメリカ人でもなかった。そのことがばれたのは、グローディンが「We’re right out of beer!」や「Have a proper drink」といったイギリス俗語を口にしたからだった。さらに、番組内の他の登場人物もみな俳優だったのである。
イギリスの作家レスリー・ワトキンスは一九七八年に『第3の選択』(たま山版、一九八一年、梶野修平訳)と題する書籍を発表し、このTV番組のさらに先を行った。
キースが公表した手紙の中で、ワトキンスは非常に率直にこう述べている。「この作品のオリジナルであるTV版は―――本書では大々的に増補してあるが―――実際は作り話で、本来エイプリル・フールに放送する予定だった。ところがネットワークの書組編成上、放送が遅れてまった」
しかし、UFO研究家の多くがそうしてきたように『第三の選択』を研究の価値なしとして完全に切り捨ててまうのは早計にすぎるだろう。
ワトキンスの手紙の続きにはこうあった。「最初は基本的な前提があまりに突拍子もないので、・・・・・誰もこれをノンフィクションとは思わないだろうと考えていた。出版直後にその考えがまったくの間違いだったことがわかった。
実質的に世界中のあらゆる地域から山のような手紙が届き、権威筋の非常に知的な人物からも膨大な数の手紙をちょうだいした。
それではっきりしたことは、私は知らぬまに機密扱いの領域に足を踏み込んでしまっていたということだった・・・・・つまり簡単に言えば、この本は事実にもとづいたフィクションだったのである。しかし、今では極秘の真相にうっかり近づきすぎたと思っている」
』:(出典:宇宙UFO大辞典/ジム・マース/徳間書店P239-241から引用)
文明の発展の尺度は、その文明で何人の悟った人間を出したかということである。この尺度でもって、ロトの時代やノアの時代は町や世界が破滅する一方で、ロトやノアは生き延びた。つまり、ロトやノアはこの話に出てくるような少数の富も権力も有するエリートだった。エリートだったところは同じだが、ロトもノアも「正しき人」つまり悟った人だったのに対し、現代のここでいうパワーエリートは全員悟った人なのだろうか。
少数エリート+多数の労働人間の宇宙疎開シナリオは、スペース・シャトル稼働時には、スペース・シャトルをベースにしたシナリオだったのだろう。しかしその背景にはその他大勢の人が地上で見殺しということになり、この点が非人道的という批判の的になったのだと思う。
偏見なく考えてみれば、ロトのエピソードもノアのエピソードも、その他大勢の悟っていない人を見殺しにしたという点では、非人道的ではある。だからこの宇宙疎開シナリオについては、そのシナリオはひょっとしたら神もオーソライズしているものである可能性も否定できない。ただ、その計画の遂行メンバーや受益者が全部が全部悟っているわけではないだろうから、プラン全体として、当初神が想定していたとおりに運ぶとは限らないのだろうと思う。
また宇宙疎開した人が生身の人間かどうかについても、私は強い関心を持っている。生身でない“亡くなった”またはアストラルな人間を、文明が掃討された後の地球に転生させんがために疎開するというシナリオもあり、なのではないか。
つまり宇宙疎開した人の地上への帰還が肉体でもって宇宙船により行われるのか、それとも死後に別の肉体を乗り物として行われるのかは、このシナリオに隠された大きな疑問点の一つだと思っている。この疑問を解くカギがスペース・シャトル計画の終了だったりするのだろうか。
また神の描くシナリオもこれだけではないのではないか。
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○宇宙空間への一時疎開−2 神のシナリオ
惑星間疎開計画の続き。
『「クラブ・オブ・アース」が一九八八年に出した声明では、「世界規模の人口増加を食い止めることは、核戦争を人類の日程に上げないことに次ぐ、重要な課題」としている。
富と権力や権威をもつ人々が、一般人並みにこうした状況をつい忘れてしまうことなど考えられない。状況に無知、無関心であっては富と権力の備わった地位を得ることはできないからだ。したがって、過剰人口で死にゆく地球に代わるものをどうするかといった議論が、当局最上層部では、間違いなく交わされてきているとするのが妥当な結論だろう。
この惑星間疎開計画がはじめて一般に知られるようになったのは一九七七年六月二〇日のことで、この日イギリスで『Alternative 3(第三の選択)』というタイトルのドキュメンタリードラマが放映された。制作はアングリアTVで、デイヴィッド・アンブローズとクリストファー・マイルズが脚本を書いている。
番組はインタビューと地球の状況が悪化している状況を描写したニュースシーンで構成されていた。地球を脱出し、新たな社会の構築につくすため、優れた能力をもつ多くの人間が選抜され、同時に洗脳された多くの「労働人間」を「一括積送品」として合わせて送り出し、月と火星にドーム型の基地を建設するという計画を描き出している。
この番組はイギリス国内では非人道的だとして怒りを買うことになり、すぐさまドキユメンタリー仕立のフィクションにすぎないとのテロップが流されるようになった。
また、この番組がまともに受け止められなかったそれなりの理由も、確かに存在した。主なインタビュー相手相手は、ボブ・グローディンと称するアメリカの元宇宙飛行士となっていたが、実在する人物ではなく、アメリカ人でもなかった。そのことがばれたのは、グローディンが「We’re right out of beer!」や「Have a proper drink」といったイギリス俗語を口にしたからだった。さらに、番組内の他の登場人物もみな俳優だったのである。
イギリスの作家レスリー・ワトキンスは一九七八年に『第3の選択』(たま山版、一九八一年、梶野修平訳)と題する書籍を発表し、このTV番組のさらに先を行った。
キースが公表した手紙の中で、ワトキンスは非常に率直にこう述べている。「この作品のオリジナルであるTV版は―――本書では大々的に増補してあるが―――実際は作り話で、本来エイプリル・フールに放送する予定だった。ところがネットワークの書組編成上、放送が遅れてまった」
しかし、UFO研究家の多くがそうしてきたように『第三の選択』を研究の価値なしとして完全に切り捨ててまうのは早計にすぎるだろう。
ワトキンスの手紙の続きにはこうあった。「最初は基本的な前提があまりに突拍子もないので、・・・・・誰もこれをノンフィクションとは思わないだろうと考えていた。出版直後にその考えがまったくの間違いだったことがわかった。
実質的に世界中のあらゆる地域から山のような手紙が届き、権威筋の非常に知的な人物からも膨大な数の手紙をちょうだいした。
それではっきりしたことは、私は知らぬまに機密扱いの領域に足を踏み込んでしまっていたということだった・・・・・つまり簡単に言えば、この本は事実にもとづいたフィクションだったのである。しかし、今では極秘の真相にうっかり近づきすぎたと思っている」
』:(出典:宇宙UFO大辞典/ジム・マース/徳間書店P239-241から引用)
文明の発展の尺度は、その文明で何人の悟った人間を出したかということである。この尺度でもって、ロトの時代やノアの時代は町や世界が破滅する一方で、ロトやノアは生き延びた。つまり、ロトやノアはこの話に出てくるような少数の富も権力も有するエリートだった。エリートだったところは同じだが、ロトもノアも「正しき人」つまり悟った人だったのに対し、現代のここでいうパワーエリートは全員悟った人なのだろうか。
少数エリート+多数の労働人間の宇宙疎開シナリオは、スペース・シャトル稼働時には、スペース・シャトルをベースにしたシナリオだったのだろう。しかしその背景にはその他大勢の人が地上で見殺しということになり、この点が非人道的という批判の的になったのだと思う。
偏見なく考えてみれば、ロトのエピソードもノアのエピソードも、その他大勢の悟っていない人を見殺しにしたという点では、非人道的ではある。だからこの宇宙疎開シナリオについては、そのシナリオはひょっとしたら神もオーソライズしているものである可能性も否定できない。ただ、その計画の遂行メンバーや受益者が全部が全部悟っているわけではないだろうから、プラン全体として、当初神が想定していたとおりに運ぶとは限らないのだろうと思う。
また宇宙疎開した人が生身の人間かどうかについても、私は強い関心を持っている。生身でない“亡くなった”またはアストラルな人間を、文明が掃討された後の地球に転生させんがために疎開するというシナリオもあり、なのではないか。
つまり宇宙疎開した人の地上への帰還が肉体でもって宇宙船により行われるのか、それとも死後に別の肉体を乗り物として行われるのかは、このシナリオに隠された大きな疑問点の一つだと思っている。この疑問を解くカギがスペース・シャトル計画の終了だったりするのだろうか。
また神の描くシナリオもこれだけではないのではないか。
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