◎肉体−8 サバイバル時の心的反応−2
○欲求不満と怒りから鬱へ
サバイバル時に重要な心理のコントロールのメニューの次は、怒りと欲求不満と鬱の誘惑である。サバイバル時でなくとも日常生活の中で、怒りと欲求不満は、しばしばプチ鬱に移行するのだが、通常の人は、心の中で、これを一日のうちになんどか繰り返す。
『怒りと欲求不満に対処する:
「欲求不満」は、最終目標を達成すべく努力している最中に次から次へと妨害を受けるときに生じる。サバイバルの最終目標とは、我々が救助地に到達できるまで、あるいは救助隊が我々に到達できるまで生きていることである。
この最終目標を達成するために、我々は最少の物資でさまざまな課題を完遂しなければならない。これらの課題を解決しようとしている最中に事態が悪化したり、生命に関わることが起きたり、ミスがことの重要性によって拡大して我々の力を超えたことが起きたりするのは避けられないことである。
このように計画がトラブルに見舞われたとき、我々は遅かれ早かれ欲求不満に対処しなければいけなくなる。この欲求不満の行き先の一つが「怒り」である。
サバイバル状況には、我々を怒らせたり欲求不満にする多くの出来事がある。装備の置き忘れと紛失・損壊、悪天気、荒々しい地形、敵のパトロール隊、また肉体的限界は、欲求不満や怒りの原因となる。
欲求不満と怒りは衝動的な反応、不合理な行動、思慮に欠ける判断、またたとえば責任回避の言動(人間はときとして習得できないことを避けがちである)を助長する。
しかしもしも、怒りと欲求不満が一体化した強い感情を利用したり、上手に対処すれば、我々はサバイバルに挑戦する生産的な行動をとれる。しかし我々が怒りの原因を正しく見つめなければ、生還の機会はもとより、我々をとりまく状況を改善する機会も失われ、多大なエネルギーが無駄に終わる。
鬱の誘惑に負けない:
生還がおぼつかなくなったときでさえ、少しも悲しまない人が稀にだがいる。悲しみが深くなったときに現れるこのような感情を「鬱」という。鬱は欲求不満と怒りに密接に結びついている。
欲求不満状態にいる人は最終目標を完遂するのがおぼつかなくなるにつれ、徐々に怒りっぽくなる。怒っても成功への改善がなされない場合、欲求不満はさらに高まる。怒りと欲求不満の破滅的な循環は、その人が精神的、情緒的、肉体的に衰弱するまで続く。
こうなると、人間の身体は戦いを放棄し始め、「何ができるか」から「できることは何もない」と考える状態に移行していく。
鬱とはこのように、希望がない、自分ではどうすることもできないと考える状態である。愛する人のことを考えたり、文明社会やかつての自分の生活を思い出すのは悲しいことだが、思い出して悪いことは何もない。事実、そのような思い出は、もう少し頑張ってもう1日生きようとする意欲を湧かせてくれる。
一方、自分を気落ちしたままにしておくと、活力と、それより重要な、生きる意欲の全てが衰退していく。
我々1人1人に最も求められるのは、鬱になる誘惑に負けないよう、そうした感情と戦う姿勢である。』
(米陸軍サバイバル全書/米国陸軍省編/並木書房P21-22から引用)
この文では、鬱になる誘惑に負けないように、弱気の虫を吹き飛ばして、楽しいことを考えよう、みたいなのが結論になっている。落ち込みがちな感情の転換を図るわけだ。
それで何とかなる人もいれば、どうにもならない人もいる。
誰でもなんとかなるのであれば、戦争神経症も、PTSDも起きはしない。
自分で意図的になんとかするということよりも、楽しい想念や歌、音楽、おしゃべりなどをきっかけに、その人の生きる情熱に点火するというようなことではないかと思う。
ただし生きる情熱の多寡は、人により千差万別。
【ザ・ジャンプ・アウト 082】
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『怒りと欲求不満に対処する:
「欲求不満」は、最終目標を達成すべく努力している最中に次から次へと妨害を受けるときに生じる。サバイバルの最終目標とは、我々が救助地に到達できるまで、あるいは救助隊が我々に到達できるまで生きていることである。
この最終目標を達成するために、我々は最少の物資でさまざまな課題を完遂しなければならない。これらの課題を解決しようとしている最中に事態が悪化したり、生命に関わることが起きたり、ミスがことの重要性によって拡大して我々の力を超えたことが起きたりするのは避けられないことである。
このように計画がトラブルに見舞われたとき、我々は遅かれ早かれ欲求不満に対処しなければいけなくなる。この欲求不満の行き先の一つが「怒り」である。
サバイバル状況には、我々を怒らせたり欲求不満にする多くの出来事がある。装備の置き忘れと紛失・損壊、悪天気、荒々しい地形、敵のパトロール隊、また肉体的限界は、欲求不満や怒りの原因となる。
欲求不満と怒りは衝動的な反応、不合理な行動、思慮に欠ける判断、またたとえば責任回避の言動(人間はときとして習得できないことを避けがちである)を助長する。
しかしもしも、怒りと欲求不満が一体化した強い感情を利用したり、上手に対処すれば、我々はサバイバルに挑戦する生産的な行動をとれる。しかし我々が怒りの原因を正しく見つめなければ、生還の機会はもとより、我々をとりまく状況を改善する機会も失われ、多大なエネルギーが無駄に終わる。
鬱の誘惑に負けない:
生還がおぼつかなくなったときでさえ、少しも悲しまない人が稀にだがいる。悲しみが深くなったときに現れるこのような感情を「鬱」という。鬱は欲求不満と怒りに密接に結びついている。
欲求不満状態にいる人は最終目標を完遂するのがおぼつかなくなるにつれ、徐々に怒りっぽくなる。怒っても成功への改善がなされない場合、欲求不満はさらに高まる。怒りと欲求不満の破滅的な循環は、その人が精神的、情緒的、肉体的に衰弱するまで続く。
こうなると、人間の身体は戦いを放棄し始め、「何ができるか」から「できることは何もない」と考える状態に移行していく。
鬱とはこのように、希望がない、自分ではどうすることもできないと考える状態である。愛する人のことを考えたり、文明社会やかつての自分の生活を思い出すのは悲しいことだが、思い出して悪いことは何もない。事実、そのような思い出は、もう少し頑張ってもう1日生きようとする意欲を湧かせてくれる。
一方、自分を気落ちしたままにしておくと、活力と、それより重要な、生きる意欲の全てが衰退していく。
我々1人1人に最も求められるのは、鬱になる誘惑に負けないよう、そうした感情と戦う姿勢である。』
(米陸軍サバイバル全書/米国陸軍省編/並木書房P21-22から引用)
この文では、鬱になる誘惑に負けないように、弱気の虫を吹き飛ばして、楽しいことを考えよう、みたいなのが結論になっている。落ち込みがちな感情の転換を図るわけだ。
それで何とかなる人もいれば、どうにもならない人もいる。
誰でもなんとかなるのであれば、戦争神経症も、PTSDも起きはしない。
自分で意図的になんとかするということよりも、楽しい想念や歌、音楽、おしゃべりなどをきっかけに、その人の生きる情熱に点火するというようなことではないかと思う。
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