◎自己の無への完全な帰還
ハインリヒ・ゾイゼは、14世紀ドイツの人で、没我に三様あると説く。
1.自我の完全な消滅
事物そのものが消え失せ、何もない。だが、死ではない。
理性的魂と呼ばれている人間の霊は“永遠”に留まる。
自己の無への完全な帰還。
2.半没我
この場合は、特別の日時が求められる、例としては、パウロが体験した奇跡(コリント人への手紙2-12-2~4)。肉体のままか肉体を離れてかは知らないが、第三の天の楽園にまで引き上げられ、人が口にするのを許されない、言い表し得ない言葉を耳にした。
このような特殊な体験をしなくとも、人間に固有の諸力を抑えきれるまで信仰が進み、時に自身の自我から脱する場合に起こる。けれどもこの半没我は長く続くものではない。パウロも我に返ると前と同じ人間であることを感じた。
3.借用没我
自分自身を全く知覚することなく、自分の中に神だけが主として存在するかのように感じられる。その際、人間の自由意思を放棄し、神に委ね、神から借用したかのような没我状態。この没我も長く続くものでなく、元に戻る。
最初の「自我の完全な消滅」は神人合一だが、そう表現すると異端になるので、そうは言わない。
二番目の「半没我」は、アストラル・トリップまたはメンタル体トリップ。時を選ぶタイプの奇跡。
三番目の借用没我は、チャネリング(帰神)。神から人間を一時借用していると説明されている。
この三種の区別がわかっているだけでも、ゾイゼは、相当な手練れであると思う。
ハインリヒ・ゾイゼは、14世紀ドイツの人で、没我に三様あると説く。
1.自我の完全な消滅
事物そのものが消え失せ、何もない。だが、死ではない。
理性的魂と呼ばれている人間の霊は“永遠”に留まる。
自己の無への完全な帰還。
2.半没我
この場合は、特別の日時が求められる、例としては、パウロが体験した奇跡(コリント人への手紙2-12-2~4)。肉体のままか肉体を離れてかは知らないが、第三の天の楽園にまで引き上げられ、人が口にするのを許されない、言い表し得ない言葉を耳にした。
このような特殊な体験をしなくとも、人間に固有の諸力を抑えきれるまで信仰が進み、時に自身の自我から脱する場合に起こる。けれどもこの半没我は長く続くものではない。パウロも我に返ると前と同じ人間であることを感じた。
3.借用没我
自分自身を全く知覚することなく、自分の中に神だけが主として存在するかのように感じられる。その際、人間の自由意思を放棄し、神に委ね、神から借用したかのような没我状態。この没我も長く続くものでなく、元に戻る。
最初の「自我の完全な消滅」は神人合一だが、そう表現すると異端になるので、そうは言わない。
二番目の「半没我」は、アストラル・トリップまたはメンタル体トリップ。時を選ぶタイプの奇跡。
三番目の借用没我は、チャネリング(帰神)。神から人間を一時借用していると説明されている。
この三種の区別がわかっているだけでも、ゾイゼは、相当な手練れであると思う。