◎肉体−21 ローレベル・トランス−1
○意図せざる意識レベルの低下=魔境
ローレベル・トランスの例として、魔境、催眠術、スマホでの自己催眠、トランス・テクノ・ダンスポップ、8000メートル級登山、PTSDを挙げる。
集合的無意識や個人的無意識は、意識の働きが弱まった時に、強力に、頻繁に出現する。戦場においては、自分の死が目前に迫ることにより、意識のレベルが落ちるという印象がある。それも一種のスピリチュアル・エマージェンシーである。
リラックスを進めて、呼吸を落としていくと、意識レベルの低下、あるいはトランスが起きてくる。しかし冥想の練習のないものがやっても大方は、個人的無意識と集合的無意識から湧き上がってくる夾雑物(ゴミ)みたいなものに圧倒されるだけである。
個人的無意識は、自分の肉体や精神から来る想いのことで、空腹だ、水を飲みたい、ある音楽を聞きたいなどの感覚的なものから精神的なもののことである。
一方集合的無意識(超個人的無意識)は、広くは、哺乳類としての無意識、人類としての無意識、東洋的無意識、日本人としての無意識、東北人とか○○県民としての無意識みたいなものから、小は、ある企業人としての無意識、あるスーパー・コンビニの利用者としての無意識、ある家系での○○家の無意識、宗教の○○教信者としての無意識、通勤通学で利用する○○駅利用者の無意識、○○缶コーヒーを飲む者の無意識などなど、およそ人間集団としてくくれるものであれば、なんでも集合的無意識が発生しえる。
集合的無意識と言えば、心理学者C.G.ユングの著作によく出て来る人間精神の根幹をなす曼荼羅表現みたいなイメージで考えがちだが、個人の集合的無意識の大半は上述のように見近なものである。
そいうことを前提として、クンダリーニ・ヨーギ本山博氏は、集合的無意識や個人的無意識は、意識の働きが弱まった時に、強力に、頻繁に出現するとする。
どういうときに弱まるかというと、
1.神経症的素質
感受性が強く神経過敏、感動興奮しやすく、固定観念にとらわれ偏狂になりやすい。情感が強いのは無意識層の特徴で、悟性・理性の働きが弱いことで、こうなる。
2.睡眠
意識停止すると睡眠し、夢も見る。
3.宗教的修行
精神集中等の方法で、意図的に意識を減弱停止させること。
4.集団
群衆心理においてその個人の行動は、理性の抑えの効かない集合的無意識的な行動になりがちである。
(この4つの出所:超感覚的なものとその世界/本山博/宗教心理出版P140−P143)
よく新興宗教教団がスタジアムなんかを借り切ってイベントをやるのだが、その教団に対する熱狂・興奮と崇拝の気分が盛り上がって参加者の無意識裡に焼き付けられるのは、この辺をよく心得てのことである。
また冥想修行、宗教修行は、意識レベル低下の最初の方で湧き上がってくるゴミを相手にしてはならないと一貫して指導するものだ。
こうしたゴミを禅では魔境と呼び、天台の摩訶止観では魔と呼ぶ。
ただこうした冥想的素養・知識のない者が、ひきこもりやテレビゲームやモバゲーのやりすぎなどで意図せざる意識レベルの低下に陥ることを繰り返す場合は、精神病、狂人予備軍と化してしまうというのが、現代特有の問題点といえよう。
こうした人は、意識レベルを低下させたまま、個人的無意識や集合的無意識から吹き上がってくる様々なイメージ・想いを意識でコントロールできないままの、内的騒乱状態になりやすいのだと思う。
こうした傾向が自殺者の数を押し上げているところもあるのではないか。逆に無意識が容易に露出する人が多いということは、坐ってすぐ悟れる人も少なくないということか。
冥想は、人間意識の調整機能を有するが、無意識へ意識が沈潜するのを防いで、はっきりする(清明)というのは、その効果の中の重要な部分一つと考えられる。
【ザ・ジャンプ・アウト 094】
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集合的無意識や個人的無意識は、意識の働きが弱まった時に、強力に、頻繁に出現する。戦場においては、自分の死が目前に迫ることにより、意識のレベルが落ちるという印象がある。それも一種のスピリチュアル・エマージェンシーである。
リラックスを進めて、呼吸を落としていくと、意識レベルの低下、あるいはトランスが起きてくる。しかし冥想の練習のないものがやっても大方は、個人的無意識と集合的無意識から湧き上がってくる夾雑物(ゴミ)みたいなものに圧倒されるだけである。
個人的無意識は、自分の肉体や精神から来る想いのことで、空腹だ、水を飲みたい、ある音楽を聞きたいなどの感覚的なものから精神的なもののことである。
一方集合的無意識(超個人的無意識)は、広くは、哺乳類としての無意識、人類としての無意識、東洋的無意識、日本人としての無意識、東北人とか○○県民としての無意識みたいなものから、小は、ある企業人としての無意識、あるスーパー・コンビニの利用者としての無意識、ある家系での○○家の無意識、宗教の○○教信者としての無意識、通勤通学で利用する○○駅利用者の無意識、○○缶コーヒーを飲む者の無意識などなど、およそ人間集団としてくくれるものであれば、なんでも集合的無意識が発生しえる。
集合的無意識と言えば、心理学者C.G.ユングの著作によく出て来る人間精神の根幹をなす曼荼羅表現みたいなイメージで考えがちだが、個人の集合的無意識の大半は上述のように見近なものである。
そいうことを前提として、クンダリーニ・ヨーギ本山博氏は、集合的無意識や個人的無意識は、意識の働きが弱まった時に、強力に、頻繁に出現するとする。
どういうときに弱まるかというと、
1.神経症的素質
感受性が強く神経過敏、感動興奮しやすく、固定観念にとらわれ偏狂になりやすい。情感が強いのは無意識層の特徴で、悟性・理性の働きが弱いことで、こうなる。
2.睡眠
意識停止すると睡眠し、夢も見る。
3.宗教的修行
精神集中等の方法で、意図的に意識を減弱停止させること。
4.集団
群衆心理においてその個人の行動は、理性の抑えの効かない集合的無意識的な行動になりがちである。
(この4つの出所:超感覚的なものとその世界/本山博/宗教心理出版P140−P143)
よく新興宗教教団がスタジアムなんかを借り切ってイベントをやるのだが、その教団に対する熱狂・興奮と崇拝の気分が盛り上がって参加者の無意識裡に焼き付けられるのは、この辺をよく心得てのことである。
また冥想修行、宗教修行は、意識レベル低下の最初の方で湧き上がってくるゴミを相手にしてはならないと一貫して指導するものだ。
こうしたゴミを禅では魔境と呼び、天台の摩訶止観では魔と呼ぶ。
ただこうした冥想的素養・知識のない者が、ひきこもりやテレビゲームやモバゲーのやりすぎなどで意図せざる意識レベルの低下に陥ることを繰り返す場合は、精神病、狂人予備軍と化してしまうというのが、現代特有の問題点といえよう。
こうした人は、意識レベルを低下させたまま、個人的無意識や集合的無意識から吹き上がってくる様々なイメージ・想いを意識でコントロールできないままの、内的騒乱状態になりやすいのだと思う。
こうした傾向が自殺者の数を押し上げているところもあるのではないか。逆に無意識が容易に露出する人が多いということは、坐ってすぐ悟れる人も少なくないということか。
冥想は、人間意識の調整機能を有するが、無意識へ意識が沈潜するのを防いで、はっきりする(清明)というのは、その効果の中の重要な部分一つと考えられる。
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