◎前額部から顔
まずは、臨済録から
『禅僧のマスター臨済が弟子たちに向かって語りかけた。
臨済「我々の身体の中に一人の無位の真人がいる。いつもあなた方の顔(面門)から出たり入ったりしているぞ。まだわからない者は、ほら見ろ、ほら見ろ。
弟子「くくっ。それはどんな真人ですか」
臨済は演壇から降りてその弟子の胸ぐらをぐいぐい押しながら「わかっているなら言ってみろ」
弟子は言葉に詰まった。
臨済「無位の真人が、聞いてあきれる糞かき棒に成り下がったものだ。」
と不機嫌に自室に戻って行った。
※一無位の真人とは、道教の覚者のこと。』
ここで、出入りするのが、なぜ面門なのか、といつも引っかかっていた。
さてシャーマニズム行において、開祖出口ナオを出口王仁三郎が審神者となって神懸かりを仔細に観察していた。
『さて帰神も神懸も神憑も概括して神がかりと称へてゐるが、其間に非常の尊卑の径庭(けいてい)ある事を覚らねばならぬのである。大本開祖の帰神情態を口述者は前後二十年間、側に在つて伺ひ奉つたことがある。
開祖は何時も神様が前額より肉体にお這入りになると云はれて、いつも前額部を右手の拇指で撫でてゐられたことがある。前額部は高天原の最高部に相応する至聖所であつて、大神の御神格の直接内流は必ず前額より始まり、遂に顔面全部に及ぶものである。而して人の前額は愛善に相応し、顔面は神格の内分一切に相応するものである。
畏多くも口述者が開祖を審神者として永年間、茲に注目し、遂に大神の聖霊に充たされ給ふ地上唯一の大予言者たることを覚り得たのである。』
(霊界物語 第48巻第1章 聖言から引用)
要するに大神=主宰神は、前額あるいは顔から出入りされるのである。臨済だってその程度の霊眼は持っていたのだろうが、禅家なので説明はするわけにいかなかったのだろう。
まずは、臨済録から
『禅僧のマスター臨済が弟子たちに向かって語りかけた。
臨済「我々の身体の中に一人の無位の真人がいる。いつもあなた方の顔(面門)から出たり入ったりしているぞ。まだわからない者は、ほら見ろ、ほら見ろ。
弟子「くくっ。それはどんな真人ですか」
臨済は演壇から降りてその弟子の胸ぐらをぐいぐい押しながら「わかっているなら言ってみろ」
弟子は言葉に詰まった。
臨済「無位の真人が、聞いてあきれる糞かき棒に成り下がったものだ。」
と不機嫌に自室に戻って行った。
※一無位の真人とは、道教の覚者のこと。』
ここで、出入りするのが、なぜ面門なのか、といつも引っかかっていた。
さてシャーマニズム行において、開祖出口ナオを出口王仁三郎が審神者となって神懸かりを仔細に観察していた。
『さて帰神も神懸も神憑も概括して神がかりと称へてゐるが、其間に非常の尊卑の径庭(けいてい)ある事を覚らねばならぬのである。大本開祖の帰神情態を口述者は前後二十年間、側に在つて伺ひ奉つたことがある。
開祖は何時も神様が前額より肉体にお這入りになると云はれて、いつも前額部を右手の拇指で撫でてゐられたことがある。前額部は高天原の最高部に相応する至聖所であつて、大神の御神格の直接内流は必ず前額より始まり、遂に顔面全部に及ぶものである。而して人の前額は愛善に相応し、顔面は神格の内分一切に相応するものである。
畏多くも口述者が開祖を審神者として永年間、茲に注目し、遂に大神の聖霊に充たされ給ふ地上唯一の大予言者たることを覚り得たのである。』
(霊界物語 第48巻第1章 聖言から引用)
要するに大神=主宰神は、前額あるいは顔から出入りされるのである。臨済だってその程度の霊眼は持っていたのだろうが、禅家なので説明はするわけにいかなかったのだろう。