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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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万法と侶(とも)たらざる者

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◎独存

襄州の龐(ほう)居士が、最初に石頭に参禅して問うた。「万法(あらゆる存在)と侶たらざる者、これはどんな人でしょうか」?
石頭、手をもって居士の口をおおった。龐居士、ここで豁然として悟った。

また龐居士が、師匠の馬祖に参禅して問うた。すると馬祖曰く「あなたが一口に西江の水を吸い尽くしてしまったら、即ちあなたに向かって回答を言いましょう。」
龐居士、言下に大悟した。

※龐蘊(ホウウン)居士(馬祖の嗣法の弟子)

口をおおったのは、龐居士自身が『万法と侶たらざる者(あらゆる存在と関係なく存在している、独立の人)』ではないかと示したもの。

ウパニシャッドでも独存が最後の方のテーマとなり、禅でも独存が最後の方のテーマとなっている。

一休和尚法語では、
『万法と侶たらざる者』とは、私の一心は、万法の外側にあり、体も色もない。だから物である万法に与しない。そうでありながら天をおおい、地に満ちている。

だから脚下漫々(無辺際に茫々)として『有』であるがゆえに、あらゆるものも一心(法界一心)と観じて、龐居士は名を残した。これは目に見えないものを見出して、このように表現しているのである。地獄はこの時初めてなくなってしまう。

一休は、第六身体アートマンに至って、あらゆる存在と心が一となり、そこで死の世界である目に見えないものを発見して、あらゆるものも一心(法界一心)となる。ここで、地獄も悪魔もなくなるのであると解説してみせている。

エクソシストは、このレベルでもって存在できるのだろう。

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