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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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世界は核戦争をしなければならない、という見方とは

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◎西郷隆盛の予感、ダンテス・ダイジの予感

渋沢栄一の実験論語処世談の中に西郷隆盛の人物月旦がある。これに、日本は維新後戦争をしなければならないという見方がある。

明治になってからの1871年の高官の会議で、西郷不在のままさる案件を決議して、西郷が到着して後、諸公から判子だけ押してくれと頼んだが、西郷は納得せず結局押さなかった。

西郷はその理由について説明しなかったが、
『日本は維新後まだ戦をする事が足らぬ。もう少し戦を為(せ)ぬと可(い)かぬ。そんな事は己れは如何でも可(よ)い』とだけ述べ、結局その議案はお流れになった。
渋沢栄一は、同年廃藩置県があったので、その時になってようやく西郷の言っている意味がわかったとしている。

1868年:明治維新、戊辰戦争
1871年:廃藩置県
1876年:廃刀令、秩禄処分により、士族の乱が相次ぐ
1877年:西南戦争

戊辰戦争以来戦争をやるやらないは、実質的に西郷の胸先三寸にあったと言えるだろう。ここで着目すべきは、戦争をやらないと民心が落ち着かない、あるいは修羅を求める気持ちを現実化せしめないと次の段階に進まないと見ていたであろう部分である。士農工商から四民平等に進むには、最大の被害者である旧士族の不満、叫びを消化する必要があった。

次の時代は、何でも金、経済的メリットと便利優先の人類を、神仏が第一でその次に自分という100%逆方向の行動規範と価値観に持っていくのだから、その衝撃を昇華するには、国家間の核戦争の発生は必至と見ているのではないか。

翻って、西郷隆盛もダンテス・ダイジも戦争の予感というのをそういう文脈で見ていたのではないか。戦争の予感は、現状の人心を自分の机上の風景をきっかけに感じることもできるし、道路を過ぎ行く自動車を見て気づくこともできるし、飛び去る烏の声で知ることもできる。

核戦争の発生が確実と見ていたのはダンテス・ダイジ。出口王仁三郎は、その辺は、あまりにも悲惨なので書いていない(あまり悲惨でよう言われんわい。)。

戦争をしないと気が済まない人類の大多数を、マスコミなどによるマインド・コントロールでなく、本気で戦争なしで済ませることで納得させることができるかどうかが、この中距離核ミサイル何千発を構える虎狼の如き隣国やら西側勢力で核戦争が起きないために必要な条件だと思う。

ところで最近のスピリチュアルSNSでは、地震の予感は一生懸命やっているが、外国からの日本侵略の予感を上げていないのは奇妙で片手落ちなことである。既に相当に侵略されちゃっている?抱き込まれている?そもそもそういうSNSなら大三災(風水火)、小三災(飢病戦)すべてビジョンに乗ってくるはずなのだが。

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