◎テクストの絶対性は揺らがないのか
『テクストの擁護者たち/アンソニー・グラフトン/勁草書房』では、ヘルメス文書とシビュラの託宣が偽書である可能性を述べる。
ヘルメス文書の世界観は、七つの身体論に沿っており、全体としてあまり変ではないように思うが、17世紀に文献学者カゾボンは、このギリシア語が紀元後のものであるとして、偽書説を唱える。
書かれている内容より文書成立の経緯を重んずる。
そういう視点で見れば、最高の経典とされる法華経は釈迦入滅後5百年後に書かれたから偽書である。それどころか釈迦自身は一巻も経典を書かなかったから、あらゆる仏典は偽書であるということになってしまう。
仏典には、釈迦入滅の際は、釈迦は四禅からスタートしてニルヴァーナ涅槃に入ったと記す経典があるが、これなどは、目撃者と経典作成者の関係を考えれば、真っ赤な偽書であるということになる。
どうしてこういうことになるのかと言えば、キリスト教には、神人合一が異端とされており、どんな時代においても事実上イエスと同一の境地、同一レベルの悟りに至った者を認めることができなかったせいではないかと思う。
一般に組織宗教では、組織引き締めと純朴で真面目な信者のために、我が宗教だけが正しいと主張するものだ。そんな中に、異教でも神知るものがいることを認める宗教はあるものだが、そこを厳格にして認めないと、そのようなことになるのではないか。
今後カルトではないあらゆる宗教の根本は共通ということを七つの身体論で、広く認識していくことになるのだろうが、個別教団の存続維持を優先すれば、万教同根など認められるものではない。
よって、『次の時代は宗教のない時代』と唱えないと目が覚めないと考えているのだろう。
『テクストの擁護者たち/アンソニー・グラフトン/勁草書房』では、ヘルメス文書とシビュラの託宣が偽書である可能性を述べる。
ヘルメス文書の世界観は、七つの身体論に沿っており、全体としてあまり変ではないように思うが、17世紀に文献学者カゾボンは、このギリシア語が紀元後のものであるとして、偽書説を唱える。
書かれている内容より文書成立の経緯を重んずる。
そういう視点で見れば、最高の経典とされる法華経は釈迦入滅後5百年後に書かれたから偽書である。それどころか釈迦自身は一巻も経典を書かなかったから、あらゆる仏典は偽書であるということになってしまう。
仏典には、釈迦入滅の際は、釈迦は四禅からスタートしてニルヴァーナ涅槃に入ったと記す経典があるが、これなどは、目撃者と経典作成者の関係を考えれば、真っ赤な偽書であるということになる。
どうしてこういうことになるのかと言えば、キリスト教には、神人合一が異端とされており、どんな時代においても事実上イエスと同一の境地、同一レベルの悟りに至った者を認めることができなかったせいではないかと思う。
一般に組織宗教では、組織引き締めと純朴で真面目な信者のために、我が宗教だけが正しいと主張するものだ。そんな中に、異教でも神知るものがいることを認める宗教はあるものだが、そこを厳格にして認めないと、そのようなことになるのではないか。
今後カルトではないあらゆる宗教の根本は共通ということを七つの身体論で、広く認識していくことになるのだろうが、個別教団の存続維持を優先すれば、万教同根など認められるものではない。
よって、『次の時代は宗教のない時代』と唱えないと目が覚めないと考えているのだろう。