◎洞山の師
曹洞宗の洞の字は、唐代の禅僧洞山の洞。洞山は、結構大物禅僧なのに大書店の禅コーナーでも洞山に関する本は少ない。
洞山は、紹興のあたり越州諸曁(しょき)県の出身。7、8歳頃村の寺院に小僧として預けられた。10歳になって、二日で般若心経を暗記したが、院主に『眼も耳も鼻も舌も身も意も無い』というところがわからないと言って院主を驚かせている。
洞山は、12歳の頃、30キロほど離れた最晩年の霊黙に預けられた。霊黙は馬祖の法嗣の一人であったが、後に別のビッグネームの石頭希遷に師事し、石頭の下で大悟し20年いて、侍者までやった。霊黙は二大禅匠に認められた大物禅者であり、洞山は霊黙の下に三年いて12歳で得度した。
霊黙が臨終となった。
ある僧が問うた。「先生はどこへ行ってしまうのですか?」
「行くところなんかないさ。(無処去)」
「わたくしには見えません」
「目には見えんのさ。(非眼所覩)」と言って亡くなった。
(『景徳伝灯録』巻七・五洩山靈黙禪師の章から。)
禅僧と言えば遺偈だが、「この坊さんこんなことを言うのか」みたいな霊界寄り、クンダリーニ・ヨーガ寄りのとってつけたようなのが多いのだが、この単純にしてあっさりした遺偈はよい。
洞山も「偉大な禅僧だった」と感心している。
「こういう逸話に人類滅亡を逃れるキーがある」、と言えば関心を持ってもらえるのだろうか。それは作為的であって、そんなことを言う時点でアウトではあるのだが。
曹洞宗の洞の字は、唐代の禅僧洞山の洞。洞山は、結構大物禅僧なのに大書店の禅コーナーでも洞山に関する本は少ない。
洞山は、紹興のあたり越州諸曁(しょき)県の出身。7、8歳頃村の寺院に小僧として預けられた。10歳になって、二日で般若心経を暗記したが、院主に『眼も耳も鼻も舌も身も意も無い』というところがわからないと言って院主を驚かせている。
洞山は、12歳の頃、30キロほど離れた最晩年の霊黙に預けられた。霊黙は馬祖の法嗣の一人であったが、後に別のビッグネームの石頭希遷に師事し、石頭の下で大悟し20年いて、侍者までやった。霊黙は二大禅匠に認められた大物禅者であり、洞山は霊黙の下に三年いて12歳で得度した。
霊黙が臨終となった。
ある僧が問うた。「先生はどこへ行ってしまうのですか?」
「行くところなんかないさ。(無処去)」
「わたくしには見えません」
「目には見えんのさ。(非眼所覩)」と言って亡くなった。
(『景徳伝灯録』巻七・五洩山靈黙禪師の章から。)
禅僧と言えば遺偈だが、「この坊さんこんなことを言うのか」みたいな霊界寄り、クンダリーニ・ヨーガ寄りのとってつけたようなのが多いのだが、この単純にしてあっさりした遺偈はよい。
洞山も「偉大な禅僧だった」と感心している。
「こういう逸話に人類滅亡を逃れるキーがある」、と言えば関心を持ってもらえるのだろうか。それは作為的であって、そんなことを言う時点でアウトではあるのだが。