◎神様の実在を認めない人間に善人はない
吉岡御啓示録とは、昭和20年12月出口王仁三郎が吉岡温泉湯治中に信者向けに語った訓話。
吉岡御啓示録には、ネット(http://oni712.blog119.fc2.com/blog-entry-3.html)では伏字のない版と書籍『天皇家秘伝の神術で見えた日本の未来/出口恒』では、伏字のある版がある。伏字にしているのは、日本人と世界の人々の生存率のところだが、有名なところだから今更伏字にしても仕方がないという感がある。
吉岡御啓示録を読んで見ると、改めて天国的生き方と地獄的生き方を平易に説いてある部分に感服する。特に天国的生き方とは、世の大峠後の万人が神を知っている時代の生き方そのものである。一方地獄的生き方とは、現代人のかなりの数の人が好むと好まざるとに係わらず実行している生き方である。
まずは、地獄的生き方。
『お土やお水の神聖を知らず、山の境界を争ったり、水喧嘩をしたりする者がある。奪った山の木で建てたお宮や、奪った畑で作った果物、盗った水で作ったお米をお供えしても神様は受け取って下さらん。お供え物は清らかな物でないとイカン。
(中略)
お土やお水を穢して何とも思わん人間ばかりじゃ、お土は神様のお体であり、お水は血液じゃ。農家は自分の田よりも先に他家の田の水を心配し合い、商人は薄利で、工業家は損益を超越してよい品を作る、という風な人間ばかりであったら世の中は平和なんじゃがなぁ-。先あわれなるかな。神様第一、利他主義こそ天国形成の基本じゃ。労働は天国を怠惰は地獄を作る。
(中略)
「書いたものは残るが、言うたことは消えるさかい文句があったら口で言うこっちゃ」という人があるが、これは神様の実在を知らん故じゃ。云うた事は空中に録音されている。蓄音機のようになぁ-。そやさかい暴言や悪い言葉は吐かん事じゃ、言霊ほど大切なものはない。』
(吉岡御啓示録から抜粋)
次に天国的生き方
『立替がいつ来ようと人間はすべてに最善を尽くしておかねばイカン。神様第一として、よく働き、少しでも神様にご苦労をかけん様にすべきじゃ。先ず自分の心を立て替えて心に天国を形づくり、家に世に天国浄土を作るため、努力するのが行じゃ。
(中略)
健康は天人の相、故に身体を大切にして暴飲暴食を慎み、疲れた時は休養をとって楽しく暮らすがよい。
言霊ほど大切なものはない。神様の御恩を謝し朝夕拝をすることが最高の善行じゃ。神様の実在を認めん人間に善人はない。天地は神様のお体であり、自分が神様の中に生きさして頂いている事実が判った人間に悪いことはできんのじゃ。神様の実在を知る人間ばかりの世が即ちミロクの世じゃさかいになぁー。世界を一家にするというのは、単なる理想だけではないのじゃさかいになぁ-.
』(吉岡御啓示録から抜粋)
神様第一、利他主義、労働が、天国的生き方の基本線。彼は実際に地獄も訪問しているのだが、地獄では自分で働かないで他人のものを奪ったり取ったりしたり、そうした類のことばかり考えているという。現代は市場経済などというが、合法、機会平等、インサイダーなどの抜け駆けなしルールの名の下に、マーケットで、株やらボンドやら金やら仮想通貨やらを売買しているわけだが、全体として見れば地獄そのものだということ。
また土を売るのを不動産業と言い、原発始め水を大量消費する工業も多く現代では立派な産業だが、厳しく見れば「お土は神様のお体であり、お水は血液」ということはあり、お気に召さぬ向きもある。
神様第一、利他主義の市場取引を想像するならば、自分の儲けより相手の儲けの方が常に多いことを是とするので、今の市場取引とは真逆となる。喜んで自分が損をし、他人の犠牲となる人ばかりなる「みろくの世」「至福千年」は、現代人の常識を遥かに超えた社会だが、世界平和も万人の日常生活の安寧も、快適な余暇も、それが成らねば実現しない。
どうすれば、そうした社会が実現するかと言えば、自分自身が神を知ることである。神を知る道は多いが、その道を辿る人は稀である。
以下出口王仁三郎の歌
立替を世人の事とな思いそ立替するは己がみたまぞ
立替を指折り数え松虫の冬の霜先あわれなるかな
神様の実在を認めない人間に善人はない。
※“出口王仁三郎”でGoogle検索しても、我が記事が全く出ない奇怪さよ。何か意図を感じますね。
吉岡御啓示録とは、昭和20年12月出口王仁三郎が吉岡温泉湯治中に信者向けに語った訓話。
吉岡御啓示録には、ネット(http://oni712.blog119.fc2.com/blog-entry-3.html)では伏字のない版と書籍『天皇家秘伝の神術で見えた日本の未来/出口恒』では、伏字のある版がある。伏字にしているのは、日本人と世界の人々の生存率のところだが、有名なところだから今更伏字にしても仕方がないという感がある。
吉岡御啓示録を読んで見ると、改めて天国的生き方と地獄的生き方を平易に説いてある部分に感服する。特に天国的生き方とは、世の大峠後の万人が神を知っている時代の生き方そのものである。一方地獄的生き方とは、現代人のかなりの数の人が好むと好まざるとに係わらず実行している生き方である。
まずは、地獄的生き方。
『お土やお水の神聖を知らず、山の境界を争ったり、水喧嘩をしたりする者がある。奪った山の木で建てたお宮や、奪った畑で作った果物、盗った水で作ったお米をお供えしても神様は受け取って下さらん。お供え物は清らかな物でないとイカン。
(中略)
お土やお水を穢して何とも思わん人間ばかりじゃ、お土は神様のお体であり、お水は血液じゃ。農家は自分の田よりも先に他家の田の水を心配し合い、商人は薄利で、工業家は損益を超越してよい品を作る、という風な人間ばかりであったら世の中は平和なんじゃがなぁ-。先あわれなるかな。神様第一、利他主義こそ天国形成の基本じゃ。労働は天国を怠惰は地獄を作る。
(中略)
「書いたものは残るが、言うたことは消えるさかい文句があったら口で言うこっちゃ」という人があるが、これは神様の実在を知らん故じゃ。云うた事は空中に録音されている。蓄音機のようになぁ-。そやさかい暴言や悪い言葉は吐かん事じゃ、言霊ほど大切なものはない。』
(吉岡御啓示録から抜粋)
次に天国的生き方
『立替がいつ来ようと人間はすべてに最善を尽くしておかねばイカン。神様第一として、よく働き、少しでも神様にご苦労をかけん様にすべきじゃ。先ず自分の心を立て替えて心に天国を形づくり、家に世に天国浄土を作るため、努力するのが行じゃ。
(中略)
健康は天人の相、故に身体を大切にして暴飲暴食を慎み、疲れた時は休養をとって楽しく暮らすがよい。
言霊ほど大切なものはない。神様の御恩を謝し朝夕拝をすることが最高の善行じゃ。神様の実在を認めん人間に善人はない。天地は神様のお体であり、自分が神様の中に生きさして頂いている事実が判った人間に悪いことはできんのじゃ。神様の実在を知る人間ばかりの世が即ちミロクの世じゃさかいになぁー。世界を一家にするというのは、単なる理想だけではないのじゃさかいになぁ-.
』(吉岡御啓示録から抜粋)
神様第一、利他主義、労働が、天国的生き方の基本線。彼は実際に地獄も訪問しているのだが、地獄では自分で働かないで他人のものを奪ったり取ったりしたり、そうした類のことばかり考えているという。現代は市場経済などというが、合法、機会平等、インサイダーなどの抜け駆けなしルールの名の下に、マーケットで、株やらボンドやら金やら仮想通貨やらを売買しているわけだが、全体として見れば地獄そのものだということ。
また土を売るのを不動産業と言い、原発始め水を大量消費する工業も多く現代では立派な産業だが、厳しく見れば「お土は神様のお体であり、お水は血液」ということはあり、お気に召さぬ向きもある。
神様第一、利他主義の市場取引を想像するならば、自分の儲けより相手の儲けの方が常に多いことを是とするので、今の市場取引とは真逆となる。喜んで自分が損をし、他人の犠牲となる人ばかりなる「みろくの世」「至福千年」は、現代人の常識を遥かに超えた社会だが、世界平和も万人の日常生活の安寧も、快適な余暇も、それが成らねば実現しない。
どうすれば、そうした社会が実現するかと言えば、自分自身が神を知ることである。神を知る道は多いが、その道を辿る人は稀である。
以下出口王仁三郎の歌
立替を世人の事とな思いそ立替するは己がみたまぞ
立替を指折り数え松虫の冬の霜先あわれなるかな
神様の実在を認めない人間に善人はない。
※“出口王仁三郎”でGoogle検索しても、我が記事が全く出ない奇怪さよ。何か意図を感じますね。