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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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神仏を知れば悪事を行うことはできない

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◎そんなことは三歳の子どもでも知っている

何かをすれば、悪事を行うことはできないというのは、どこかのカルトやどこかの監視国家の徹底したマインドコントロールかと思う昨今。

だが、人間の悟った姿は、諸悪莫作、衆善奉行。つまり善いことをして悪いことをしない。出典は、釈迦を含む過去七仏共通の教えである七仏通戒偈。これがすなわちみろくの世、千年王国の人間の姿。

何が善で、何が悪かと言えば、自分自我を拡大強化する方向に動くのが悪であって、自分自我を縮小して無くする方向に動くのが善。

悟りでの能力の開顕は、智恵サイド、感情サイドなどいくつかの側面があるが(七チャクラに配当される)、特に感情サイドで開顕すると、まず悪業はできなくなるだろうというのが出口王仁三郎の次の歌でわかる。

われもなく うつしよもなく ただひとり かみのみまえに ひれふし おろがむ

また出口王仁三郎の染筆に「天恩無疆」(天恩に疆(かぎり)なし)というのがあり、同じ心情を説く。

毎日松の木の上で坐禅をしていた唐代の禅僧鳥窠道林(ちょうかどうりん)。樹上で坐れるのは栂尾高山寺の明恵と同じ。

ある日、白居易が鳥窠道林に仏教の大意を質問すると、師は「諸悪莫作、衆善奉行」と答えた。さらに白居易が、「そんなことは三歳の子どもでも知っている」と言うと、師は「三歳の子どもでも知っていることが、八〇歳の老人でも行うことはできない」と答え、これを聞いて白居易は師に礼をした(『景徳伝灯録』四)。

さて出口王仁三郎は、覚者たちのあまり詳述しない副守護神について詳しく説明している。要するに人間は、肉体を持っている限り、悪事をしないというわけにはいかないが、それは重要な肉体維持の側面であることも認めている。

それを前提に諸悪莫作、衆善奉行を考えた場合、神仏を知りつつ生きる人と神仏を知らずに生きる人、悪事を繰り返す人の差を考えざるを得ない。

肉体を持つというものは重いもので、大悟覚醒、聖胎長養を経た人でも、金を稼ぐために働かねばならなかったり、食事や家事にかなり手間をかけねばならなかったりする。その上で、神仏を知っていても、知っていなくても、善いことをして悪いことをしない。

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