◎67歳の大安寺の寺主の命を取りに来る
中国洪州の大安寺の寺主のところに鬼神がやってきて、悟ってもいない貴殿が40年も法を説くのは、その資格なく害悪が多い。即刻貴殿を地獄に連れていくと言ってきかない。
そこに第二の鬼神がやってきて、閻魔大王も一日だけ修行することを許すので、その間に何とかせよという。
翌朝夜の明けきる前に、寺主は師匠の馬祖のところに駆け込んで助けて下さいと懇願した。
馬祖は、私の隣に立っていなさいと言う。寺主が馬祖の隣に立っていると、果たして鬼神が彼を捜しに来たが、結局見つけることはできずに去っていった。
ここはなぜ命を永らえることができたかよりも、頓悟を基本線とする禅者が、霊能力、超能力にまともにとりあってはいけないということ。最終解脱だけが、禅の道では価値があるのであって、中間的なものは相手にしないのだ。
中国洪州の大安寺の寺主のところに鬼神がやってきて、悟ってもいない貴殿が40年も法を説くのは、その資格なく害悪が多い。即刻貴殿を地獄に連れていくと言ってきかない。
そこに第二の鬼神がやってきて、閻魔大王も一日だけ修行することを許すので、その間に何とかせよという。
翌朝夜の明けきる前に、寺主は師匠の馬祖のところに駆け込んで助けて下さいと懇願した。
馬祖は、私の隣に立っていなさいと言う。寺主が馬祖の隣に立っていると、果たして鬼神が彼を捜しに来たが、結局見つけることはできずに去っていった。
ここはなぜ命を永らえることができたかよりも、頓悟を基本線とする禅者が、霊能力、超能力にまともにとりあってはいけないということ。最終解脱だけが、禅の道では価値があるのであって、中間的なものは相手にしないのだ。