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チャクラと七つの身体−54

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◎肉体−37 ハイレベル・トランス−10
◎天国の取り扱い

仏教、古神道、キリスト教に限らず、結構な数の宗教が、行法の狙いどころとして、ハイレベル・トランスの先に天国、天界、極楽を求めるものである。天国には、高級神霊群、正神群の他に、大神、神、仏、道(タオ)、大日如来がおわします。大神、神、仏、道(タオ)、大日如来に出会うことを見神、見仏、一瞥という。

低級霊界からも中心太陽を望見できることから、ハイレベル・トランスで高級霊界で神、仏を一見できることは不思議なことではないだろう。

見神、見仏、一瞥が起これば、それは確かに一里塚ではあるが、それは絶対ではなく、その特殊な体験を再体験しようとする方向に逸れたり、そういう体験を絶対視して慢心したりすることもあり、必ずしも良い兆しとは言えないようである。体験至上主義もまた誤りなのだ。だから体験とはいえない体験と言う。

何か行をしようとして、天国を求めるということは、別に地獄があることがわかっていながら、つまり天国それ自体が永遠不壊のものでないことを承知していながら行を行うことに、いささかの自己欺瞞を感じている人も少なくないのではないかと思う。

つまり最初から天国も地獄も越えたところこそが、大神、神、仏、道(タオ)、大日如来であることを頭で理解しながら、それでも天国を目指すことに対していまいちやる気が起きにくいのではないかということである。

天国をまず目指す宗教という宗教の実例としては、極楽の一地方である辺地浄土を目指す浄土系仏教、キリスト教などがある。

ハイレベル・トランスとは意図的な意識のオープンである。ハイレベル・トランスの修行により、意識がオープンになり、悟りを開く人もいれば、低級霊に惑わされる人もいれば、発狂する人もいれば、自殺する人もいる。

ハイレベル・トランスという意識がオープンな状態とは、神に対してオープンであることは勿論、悪魔に対してもオープンであることであり、その結果について、人間的価値観から言えば何の保証もない。しかしオープンを避け続ける限り、いつまでたっても不確かで変わりやすいこの世の栄枯盛衰の辛酸をなめることになる。

そして人によっては、一気に天国と地獄をもこえた、大神、神、仏、道(タオ)、大日如来、ニルヴァーナ、ニルビ・カルパ・サマディに到達する人もいるし、天国入りは自我の死ではないものの、まずは天国を目指すのが適当な人もいる。

つまり個々人にとっては、本来自分のレベルに相応しい狙いどころに対応した行法で修行を行うのがベストなのだろうと思う。そして修行に際しては、常に善であり、真であり、美である、ポジティブなバイブレーションの下で修行する、つまり善を行い悪を行わないというライフ・スタイルが基本形となるのだと思う。

要するに、これまで天国を狙うのか、天国の先を狙うのかは、なぜかはっきりして来なかったきらいがあるが、現代人にとってはその違いは容易に意識できるものなのではないかと思う。

【ザ・ジャンプ・アウト 110】

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