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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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ネガティブ予言の読み方-5

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◎不浄観から自殺へ

ネガティブ予言を奉ずる教団は多く、ネガティブなヴィジョンを観想させる冥想手法もある。大本神諭や日月神示、黙示録、ラグナロークなどを読んでその内容について瞑想するなどは、そうした観想法の一種と見ることもできる。

そうした教団に限らないが、個人がネガティブ予言を信じて生きれば、20年30年単位での長期での生活水準の向上や生活環境の改善などはあまりやらないことになりがちである。具体的には、住宅ローンを組んで住宅を取得する、結婚して家庭を作り子供を設けて子供を大学までは出してやるといった類のことである。そして悲観的な将来の人生に希望が持てなければ、自殺までしてしまうことがある。

ある時釈迦は、不浄観の冥想のすばらしさについての説法を行い、比丘たちの胸に迫った。不浄観とは、自分や他人の生きた身体が腐敗・白骨化していく様を観想すること。
釈迦はその説法直後から半月間一人で集中冥想に入ることを宣言し、弟子たちとの交流を断った。

半月後、釈迦が集中冥想から出ると、数人の弟子がいなくなっているのに気がついた。高弟アーナンダに問うと、「不浄観が嵩じて世をはかなんで自殺したのです。どうか不浄観以外の冥想を教えてください。」と請うたので、釈迦は、ヴィパッサナー(呼吸を見つめる)を教えてくれたという。
(ブッダの瞑想/須田道輝/柏樹社P115)

不浄観はネガティブ予言ではないが、あらゆる現象は実体がないという、色即是空もネガティブ予言的な側面を持つ。

ひいては、人生の隙間を感得する、人間の不条理に直面するというのはそういう側面があるものだ。

ネガティブ予言は、副反応、副作用はあるが、人生には有効な効能の他に必ずそういう面は必ずあるもの。だがこの時代は、あまりにもネガティブ面を隠そうとする動きが強いがゆえにネガティブ予言が時々世に注目されるということはある。

教条的にネガティブ予言を信じ込むことは避けるべきだが、その表裏については考えるべきだろう。

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