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Channel: アヴァンギャルド精神世界
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道人は聞こえず

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◎至上の徳のある人には徳に見えるようなものはない

OSHOバグワンの前世については、チベット僧だのいろいろと取沙汰されているが、荘子だという説もある。これは、OSHOバグワンがコミューンや教団を作りながら、弟子の育成にあまり熱心だとは思えなかったこと。通例大教団では、高弟が衣鉢を継ぎ、教祖と高弟のハイ・レベルなエピソードがその後の貴重なものとして語り継がれたり、高弟が教団維持の体裁を整えるものだが、OSHOバグワンはそうではなかった。

荘子も高尚な理論は説くが、坐忘そのものには詳細な説明はなく、孔子を代表とする既成教団への批判ばかりやっているところがある。
一歩踏み込んでいないのだが、この点が荘子はOSHOバグワンの前世と言われても抵抗感のない部分である。

荘子秋水篇から。
『道人は聞こえず、至徳は得ず、大人は己なし』
大意:道を極めた人は、自分の功名を言い立てることはしない。至上の徳のある人には徳に見えるようなものはない。大人は無我である。

この時代は、SNS出現以前から自分の美点利点を言い立てる時代となって久しい。イエスが右の手の行う善行を左手が知らないように善行を行うものだと説いた昔から、善行は人に知られないままで行い、我が徳は隠すものであり、大人は、神人合一の無我なる体験とは言えない体験を持つべきものである。
日本には伝統的にか禅の影響からか、そのように神を畏れる風がある。


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